微睡み

槙島×狡噛(国外逃亡)





 シーツの海が微睡みを呼び寄せる。
 いつからこうしていただろうか。同じ揺り籠で眠ることにはようやく慣れたとは言え、やはり触れられる瞬間と体の中で自分以外の温もりを感じる瞬間はやはり慣れそうになかった。
 程良く汗を掻き、いつもは冷ややかなシーツも今だけは生温く心地良い。ふたりの距離がいつもより近くにあるせいか、高くなった体温はまだ落ち着きそうにない。
「……槙島、もういいだろ……」
 狡噛慎也は、自分と繋がったままの運命共同体――槙島聖護にそう投げかける。垣間見た槙島の表情はまだ余裕がありそうだったが、狡噛は本当に疲れてしまったし、今すぐにでも休みたかった。
 槙島は、狡噛の腹の上に汗を垂らし、腹の中には宿ることのない精子を注いだ。これまでにも何度もこの意味のない行為を繰り返してきた。
「おい、槙島」
 槙島の長めの髪に指先を絡ませて注意を引く。くい、と槙島の下から髪を引き、見え隠れする顔を見つめる。
「――何かな」
 たくさん注がれた腹は栓をされたままなので内側が焼くような熱さを保っていた。きっと槙島はそれを堪能しているのだ。
 擬似生殖行為さながらのこの性行為に、何らかの意味を見出そうとする奴の悪癖とでも言ってしまえば、少しは楽になるだろうか。
 まだ治まることのない様子は、狡噛も槙島自身をその目で見なくとも腹から伝わる。醒めることのない夢幻にも似た情欲。
 いつかはこの欲も綺麗さっぱり消えるとは理解っていながらも、感じている心地良さを簡単に忘れることはできず、いつか来る独り立ちの時に支障が出るのではないかと、槙島は時々そう考える時がある。
「そろそろ、……その、抜いて欲しいんだが……」
 困ったように狡噛が言うと、槙島はすっかり忘れていたと言わんばかりの顔で狡噛を見た。
「声が枯れてる」
「ッ――あれだけ好きにされりゃあな」
「君もとても気持ち良さそうだった」
 そう言って、槙島が狡噛に抱き着いた。そっと回された腕は存外優しくて、狡噛はいつも絆されてしまう。その弱さも狡噛らしいと言えばそうなのかもしれないが。
「……できるならもう少しだけこうしていたい」
 優しく告げてから頬にキスをして、槙島は改めて狡噛を見つめると微笑んだ。
 眠ると言ってから長い間、貪るように事に及んだだけあって、ふたりとも裸のままだった。と言うよりは、槙島は着衣を拒む傾向にあるように思うことがある。
 こうして生まれた姿へ視覚的に退行することで、生命の貴さを確かめているつもりなのだろうと、狡噛はそう考えているが、実際のところは知らないし、聞いて確かめようともしていない。
「もう俺は寝たい……」
 眠そうにとろんとした狡噛の表情は、彼が心の奥底の宮殿にしまいこんだ幾分かの優しさを露見させる。
「いいんだよ、眠っても。僕はもう少し起きているけれど」
 あやすように狡噛の髪を撫でてやれば、いやいや、と頭を振り槙島の手から逃げようとする。
「……お前より先には眠らねぇよ」
 その言い方には、狡噛なりの棘があった。そして、最大限の譲歩のつもりでもあった。
「……だったら、僕と話をしよう」
 繋がったままともあれば、必然とふたりの肌が触れ合ってしまう。ここぞとばかりに狡噛を抱き寄せるようにして、槙島はふたりの距離を詰めた。
 汗で少し突っ張った肌も触り心地が良くて、ついつい槙島は嫌がる狡噛の制止を振り切って、その指先で肌をなぞり、狡噛を感じ取ろうとしてしまう。
 そうされることに、狡噛はよく理解できずにいる。
 この行為はただの性欲処理でしかない。それ以外の感情はないし、今後どちらかにそれが芽生えることもない。少なくとも、狡噛にとっては確信さえある。
 けれども、この瞬間――槙島が狡噛の中で熱を求めるその瞬間の欲情した顔は、狡噛も嫌いじゃなかった。どんな状況下においても飄々としている槙島を負かしたみたいな気持ちになる。
「……話、なんて、することないだろ」
「僕はもっと君のことが知りたい」
「俺はお前のことなんか知りたくないし、これ以上教える気もないんでね」
 拗ねたような狡噛の態度に苦笑する。槙島はそっぽを向かれた顔を掴んで正面に向き直させると、狡噛をジッと見つめた。
 こういう風に互いの視線が絡み合ってしまったら最後だった。そう簡単に解けることもないし、槙島が解いてくれることもない。
「……君のはもう反応していないようだけれど、生憎――」
 と言って、槙島は唐突にシーツに横たわる狡噛に向かって腰を押し付けるように動き、狡噛の体内の埋まる一物をゆるゆると動かしてきた。
「ッ――ア! っ――おい、動くな……!」
「君が僕に意地悪をするからさ。そのお返し」
 狡噛の膝の裏から腕を回して腰を持ち上げると、より結合が深くなる。
「んぅ、っ――」
 息が詰まるこの感覚が狡噛は好きじゃなかった。それなのに、何度か注挿を繰り返されれば、弱々しくも狡噛の雄根にも力が入り始める。
「また、やっ――ぁ、るのか…あ――っ、」
「だって、話をしてくれないんだろ?」
 そう言う槙島の口元からは子ども染みた不貞腐れが認められる。すぐ拗ねるのだ、槙島は。
 狡噛と生活を共にするようになる前からそうだったのか、それとも狡噛と生活を続けていくうちにそうなっていったのかは、狡噛が知り得ることはない。
 互いが出逢う前の過去を聞き探るような野暮なことをすることはないし、だからと言って、関係を良くするための一環として互いにディープな話をするつもりもない。
「はな、っ――し……するか、ヤる、っのか……どっちかに――ヒッ……!」
 悦いところを槙島の肉棒が掠めると、どれだけ足掻こうとしてももう駄目だった。
 マッチに火をつける時みたいに熱が狡噛の体内に拡散していく。この熱に飲み込まれる――槙島の手のひらの上で踊らされてしまう。
「僕は二度も尋ねた。話をしようと、ね。だが、君が断ったんだ」
 槙島のイヤなスイッチが入る瞬間、奴のそれは膨張する。それを狡噛は自分の腹の内側で感じ取る。逃げられるわけがなかった。
「っあ、あ――うぐ、ぁ――っ、ア、」
 槙島に情けなどない。律動は激しさを増していくばかりで、与えられるはずだった情けは既に狡噛がその手で弾いてしまったのだから、そのチャンスはもう残されていなかった。
 グラグラと視界が揺れ、押し寄せる快楽の波に溺れていく、狡噛の膝を折り曲げさせて屈服させると、槙島は狡噛の真上から見下ろし、口元には捕食者の牙を覗かせて嘲笑う。
 こうなってしまったら、後は再び槙島の(だけではない)熱が弾け、また会話を求められるその時まで、この行為は終わることを許されない。
 激しさよりも執拗に攻めてくる槙島の愛撫はねっとりとしていて、優しさは欠片も溢れることがない。狡噛は槙島の支配下で喘ぐことしか許されなくなる。
 (拗ねた槙島は本当に厄介だ)
 思考に真っ白なモヤがかかり始めると、槙島がどんな会話を求めていたのかも、どんな言葉を期待していたのかも、狡噛にはもう何も考えられなくなってしまう。
「は――ッア! やっ、やめ…槙し――っん、あァ!」
 槙島にしがみつくのは癪だった。シーツに顔半分を埋めてなるべく声を出さないようにしても、唇を噛み締め、勝手に飛び出てしまう声を殺しても、槙島はすぐに狡噛の頬を掴んで自分のほうに向けさせる。
 そして、おもむろに唇を交わされる。どちらかと言えばそれは噛み付かれるような感じだった。声を隠させまいとしているのか、ただキスがしたいのかも、微睡みに溺れる狡噛には分からない。
 一度落ち着いたはずの熱は、簡単に沸騰してしまう。頭が、腹が、体中の全部が熱くて、思考を溶かされていく感覚。白に飲み込まれるこの瞬間――微睡みの中は、狡噛にとって唯一の安息だった。
 (こうでもしないと眠れないくせに……)
 射精を目的とした行為はとうに過ぎていて、槙島が再び狡噛を攻めたてたのは、他でもない入眠するための行為に近かった。
 それを優しさと呼べるほど二人の関係はできていない。けれども、それは槙島ができる精一杯の優しさでもあって。
「――ッ、あ……っも、っあ…はァ――」
 吐く精もなく、意識を手放してしまった狡噛。がく、と全身から力が抜け落ちて、上気した頬と汗ばんだ身体のまま、彼はひとり夢に溺れていく。
 
 それは槙島と他愛のない会話をする夢だった。
 現実ではまだうまく槙島と向き合えないせいなのか、こうしてセックスまでしていると言うのに、狡噛は槙島と寝た日の夜は決まってこういう平穏な夢を見る。
 もしかすると、会話を求めているのは狡噛のほうだという潜在的な願望が、実は狡噛にも存在していて、それがこういう感情が曖昧になった時にだけ脳が見せてくるのかもしれない。
 狡噛はいつもこの微睡みの中で、自分の感情を自分自身に――夢の中の槙島からも問われる。
 だが、それは決して繋がったまま眠ろうと試みる槙島には伝わらない。潜在的な感情や願望を脳が映像として見せてくるその夢幻は、現代技術を持ってしても他人と共有できない。
 だからこそ、人は言葉を話せるのだろう。
 生きていくうちに感じ取るエモーションは、実際に言葉や行動にしなくては意味がない。意思を伝えるとはそういうことなのだ。
「……いつになったら君ときちんと話が出来るんだろうね」
 槙島が苦笑交じりに独りごちる。そうやって、ようやく眠れた狡噛に向かって届かない思いを吐露する。
 そうして、ふたりはこの偽りでも確かな温かみのある微睡みの中に身を投じた。シーツの海が揺りかごのように揺れて、ふたりを微睡みの深くへ誘っていく。