Rain after Rain

槙島×狡噛(SHERLOCKぽい関係性のパロディ)






 もうすぐ夜が来る。
 昼間から降り続いていた雨はようやく止み、綺麗に舗装された道のあちらこちらに水溜りができている。
 ばしゃばしゃ、と水溜りを踏みつぶし、泥水が跳ねてコートとスーツを汚した。だけどもそんな汚れは、雨に降られた時点から気にするのを止めている。
「この後はどうするんだ?」
 一人が問う。
「逃げるしかないだろ!いいから走れ!」
 そして、もう一人は答えると、連れの腕を掴んで引っ張りながら、暗くなってゆく街に別れをつげる。
 雨のせいで足元が悪かった。しかし、立ち止まれない。二人は全速力で駆け抜ける。後ろを確認するのも忘れない。
 革靴がときどき滑った。どちらかが滑りそうになると、もう一人が腕を掴み引き寄せてそれをカバーする。
 二人は――狡噛慎也と槙島聖護は、追っ手から逃げるためにこの街を右往左往していた。逃げれは逃げるほど路地はどんどん封鎖されていく。
 逃げ延びるにはどこかの建物に侵入したい。だが、どこに? この街に二人の協力者は自分たち以外にはいない。
「一旦止まろう狡噛」
  と、槙島。
「このままでは直に捕まる。君のせいでね」
 狡噛の方は見ずに言葉を続けた。狡噛もその提案には賛成できるが、自分のせいにされるのは気に入らない。
「元はと言えばお前が――!」
 狡噛の文句を塞ぐかの如く、槙島はちょうど通りがかった路地に急いで方向転換。槙島が右側、狡噛が左側を走っていたので、狡噛の体がグン、と右に強く引っ張られた。
「――――ッ!」
 狡噛の右足が滑ってバランスを崩しかけた。だが狡噛の持ち前の運動神経でそれを持ちこたえる。
 路地には木製の箱が2mほど積まれていた。他にも不要なものが置かれており、異国人の二人の姿を隠すにはちょうど良い遮蔽物だった。
 狡噛と槙島は路地の物陰に一度身を隠すことにした。木箱を少しずらし、二つの体を隠す。マントの襟を立てて顔の下半分を隠して息を潜める。
「…………、」
 追っ手の気配をすぐ近くに感じる。足音が複数聞こえる。追っ手の人数が増えていた。
 路地側にいる狡噛は木箱の後ろから様子を窺う。ワーワーと男のヤジが耳に届く。奴らは近い。ここも直に危ないだろう。
「少し落ち着けよ、狡噛。覗けば見つかるぞ」
 そう言って、槙島は鎖を自分の方にたぐり寄せた。否応なしに狡噛の体は槙島の横に戻される。
 そう、二人は手錠で繋がれていた。槙島の左手首、狡噛の右手首に鉄の輪が嵌められ、鎖が二人の間に垂れている。
 手錠は追われている奴らの仕業だった。
 二人はとある仕事でこの街に訪れ、そして失敗し、追われている。この手錠にGPS機能がついていないことを願うばかりだ。
「お前はさっさとこいつを外せ!」
「それが人にものを頼む時の態度か?」
「うるせえ、こういうのはお前の得意分野だろ。さっさとやれ」
「……はいはい」
 槙島が残り少ない太陽の明かりを頼りに、コートの袖口の折り返しの部分に仕込んでおいたピッキングツールにも成り代わる針金を取り出す。
「チッ……湿気っちまった」
 その傍らで不機嫌そうな声が聞こえる。狡噛だ。煙草を吸うつもりだったのだろう。しかし雨に濡れたお陰で、残り僅かだった煙草もしなしなになってしまっていたらしい。
 狡噛は仕方なくジッポの火を点けて槙島の手助けする。文句は言っていても助かりたいのは両者とも同じなのだ。そのための協力なら惜しまない。
「ありがとう」
「いいから集中しろ」
「それよりももっと壁の方に寄ってなよ、火の灯りで気付かれる」
 手錠の鍵穴に針金を差し入れて外そうとしている槙島は両手が使えないので、狡噛の体ごと足で押しやる。濡れそぼったレンガ壁に狡噛は強引に押し付けられた。反動で手に持っていたジッポを落としてしまう。
 それと同時に、右腕のもう一人の感覚が消え、重みが増えた。槙島の手錠が外れたのだ。右腕から垂れる鎖と手錠。ジャラ、と音が鳴る。
「いきなり何すんだよ!?」
「君が気を抜いてるからだ」
「それも俺のせいか!?こうなったのは全部お前のせいだろ!」
「ああそう、じゃあ君のそれは外さなくてもいいんだね」
「いや、何でそうなる!外せよ!」
 と、狡噛は右手を槙島の前に差し出す。左手で槙島のコートの上から腕を掴んで逃げないようにする。
「君なら自力で外せるだろう?」
「道具があるのにか?」
「痛いのが好きじゃないか」
 さぞ驚いたとばかりの顔をして槙島が見てくる。
「好きなわけあるか! ――っクソ、だったらそれ貸せ。俺がやる」
 手のひらを向けて針金を求めるが、よく見れば槙島の手には何もない。
「ああ、さっきダメになってしまってね」
 と、肩を竦める槙島。とても残念だと、両手に何もないことを見せつけてくる。
「は?お前……そんなに俺の邪魔をするのが楽しいか?」
 狡噛の肩が怒りに震える。
「楽しいね」
 ニッコリと微笑まれて、あえなく戦意喪失。だが、それはあくまでもこの現状においては、だ。
「槙島、家に戻ったらお前のコレクション全部捨ててやるからな。覚えとけよ」
 槙島を睨みながら狡噛が言った。あの顔は本気だ。
 そして、槙島が見たかった親指の関節を外して行う手錠抜けを素早くやってのける。まるで芸のようにあっという間だった。
「君ならどんな拘束に遭っても何とかなりそうだね」
 槙島が感心したように褒め言葉を並べる。が、狡噛には通用しない。
「褒めたって捨てるもんは捨てるからな」
 言って、手首を払うと、ジャラジャラ、と鎖が重力にそって地面に落ちた。これでようやく二人は自由になる。あとはこの場を逃げ切るのみ。
「さて、身軽になったことだし、もう少し走ろうか」
 槙島がスーツの内側にしまってある懐中時計を取り出して、時間を確かめてから言った。
「……お前、もしかしてこれも仕組んだことなのか?」
「今頃気づいたのかい?君はもう少し考えてから仕事を引き受けるべきだよ。こんな知らない街に君と二人。僕が協力者をつかまない訳がないだろうに」
 
 得意げに微笑う槙島に、狡噛はがっくりと項垂れたように、コートが汚れるのも構わずその場にしゃがみこんだ。
「………………、」
 腹の底から吐き出した溜息が長い。頭をガシガシかいた後、狡噛は濡れた前髪をかきあげて撫でつけた。
「雨も止んだし手錠も外れた。合流地点まであと少し。そこに協力者が用意した車がある手筈になっている。あとはそれに乗って僕らの家にコレを持ち帰るだけ。簡単なことだろう?」
 コレとは、今回の仕事のターゲット。とある機密情報が入っているメモリースティックのことだ。それは槙島がどこかに隠し持っている。
「だったら初めからお前の協力者と引受ければ良かっただろうが!また俺を巻き込んだな!?」
 狡噛が突っかかる。槙島の胸ぐらを掴んで、顔を近づけて睨みつけた。額同士がぶつかりそうなほどの距離でも、槙島は怒られ慣れているので臆すこともない。
 それよりも槙島は嬉しそうだった。ふふ、と困ったように微笑し、狡噛の手を上から掴んでコートを離させながら手短に話し始める。
「だって君は仕事を辞めてから特に退屈そうだったからさ。それに、君だって楽しかったんじゃないのか?こういう悪い仕事も」
 にや、と悪い顔をする槙島。悪巧みを考えている時によく見せるその顔。悪戯っ子みたいな子どもっぽい笑みで狡噛を見つめる。その顔は、負けを認めろ、と言わんばかりの顔だった。
「もう絶対にお前には協力しない」
 ムカついて槙島の肩を殴る。が、寸でのところで手で拳を受け止められ、一撃にもならない。
「無事帰りついたら君が知りたがっていた僕の情報を1つ教えてあげるよ。それが今回手伝ってもらうための条件だったからね」
「絶対だぞ」
「僕は、約束は守るよ(嘘をつかないとは言わないけれど)」
 槙島が狡噛の手を掴んで先を歩く。木箱から表の通りを見て、追っ手を探す。チャンスは今だった。
「ほら帰るよ、狡噛。僕らの家へ」
 その言葉を合図に、二人は逃走車が待つ合流地点まで駆けてゆく。