お前は俺から一生離れられない

槙島×狡噛






 絡みついたそれが息を塞ぐ。
 手が、言葉が――君のすべてが僕をこの場所に縛り付ける。
「は――っ」
 喉頸にのしかかる自分と同じ重さ。本能的に顎を上向かせて気道を確保し、苦痛から逃れようと身動ぐ槙島聖護の身体の上に跨がった獣――寝静まった真夜中に突然襲いかかってきた狡噛慎也の迷いなき瞳が、彼の真下で息苦しそうに眉と目尻にしわをつくる槙島を捕らえる。
 梳いて整えた髪も取り替えたばかりのシーツの上にばらばらと乱れ、喉への圧迫が強まるとそれに比例して後頭部が枕に埋もれた。
 薄く開かれた唇から覗く歯列と舌。与えられる息苦しさが心地良くて、槙島はうっとりと目を細める。
 狡噛の血に汚れた手が乱暴になる日は決まってしばらく家を空けた後だった。何があったのかを察してもわざわざ指摘はしてやらない。
 狡噛の全部をぶつけられる――この瞬間が堪らなく愛おしい。僕を殺したくて、殺したくて、僕のこの命を喰らおうとする君が愛しくて。
――早く奪ってくれれば良いのに。
「……は、ぁ――は……っ」
 息ができなくて苦しいはずなのに眠っていたときよりも、狡噛と身体を重ねたときよりも、リラックスして狡噛を受け止める。
 槙島は狡噛の身体の下で余すことなくすべてを晒した。苦しさにどうしても強ばる身体から力を抜いて、この世に生を受けたときのような無防備になる。
「……槙し、ま……」
 下から覗く狡噛の額には玉のような汗が浮かび、頬には真新しい切り傷が幾つかできていた。
 命があって良かったな、と狡噛に対しては素直に思える。それはあまりに長い時間をこうした偽りの平穏の中で暮らしてきたからか、それともこの男に情が移ってしまったのか――その答えはまだ出ない。
 狡噛の荒々しい呼吸が鼻先を掠めていくのをこそばゆく感じながら、まるで自分が苦しいみたいに顔を歪ませて歯噛みする狡噛に、槙島は眼だけで嗤った。
 どうすれば君は僕だけを見ているだろう。
 槙島は自分の首を絞める狡噛の手首を掴んで喉との隙間をつくっていくと、せき止められていた血流が再び循環し始める感覚に身悶えた。肌の上を何かが這うような血の気に自然と背が戦慄く。
 首から離したその手を掴んで自身の口元へ運ぶと、槙島はそれをベロ、と舐めた。
「自分が今どんな顔をしているか分からないだろう」
 顔の下半分を覆わせた手のひらに口付けをしながら、その手を隈無く指まで丁寧に舐めて誘惑う。誰のかも分からぬ血を舐めて拭ってやる。そうして狡噛の獲物が誰なのかを自ら思い出させるのだ、槙島は。
「ほら、君の獲物がここにいるぞ」
 目を細めて反対側の手で狡噛の頬に触れた。指先で頬の傷をなぞり、閉じかけた傷口を引っ掻くようにして開かせる。
「――ッ」
 頬を新たに伝う血。狡噛がこの世に生きている証のそれ。疵口がジンジンと痛む。この傷をつけられた時の光景が一瞬にして蘇る。
「僕を殺すんだろう?」
 指先についた血を槙島は自分の唇に塗りつけた。動物がするマーキングみたいに狡噛の徴を槙島は欲した。できればその牙で僕を。
 長い時間を掛けて猟犬の習性が染み付いていった狡噛が一度狙いをつけた獲物を見失うわけがない。喉を嚥下させて槙島を見つめる。
 狡噛は悪戯に触れて挑発を仕掛けてくる槙島の手を捕まえると、それをシーツに縫い付けて睨んだ。
「お前は俺から一生離れられない――お前にはこの世界の息苦しさを教えてやる。殺すのはその後だ」
 皮肉めいて言う狡噛は、その言葉の意味も重さも半分くらいしか理解していなかった。その言葉がどれほど槙島の心を揺さぶるのかを。どれほど槙島を満たす言葉だということを。
「望むところだ。それに――例え君に殺されても僕は君から離れるつもりはないよ」
 コソッと耳打ちして微笑う。
 ああ今日は、よく眠れそうだ。