優しい唇

槙島×狡噛






 ギシ、と微かに軋むベッドはふたりでひとつ。
 キングサイズの寝台は二人が寝転がっても十分なスペースがあり、何度寝返りを打っても、ベッドの上で格闘をしても窮屈に感じることはない。
 あるとすればひとつだけ。今夜のような静かな夜だと特にはっきりと聞こえてくる相手の呼気が気になることくらいだろうか。
 何故こんなにも気になってしまうのか。
 決して興味があるからではなくて、警戒するが故に相手のことが気になって仕方がないのだ。
 
(クソ……)
 狡噛は、手中の物語に意識を完全に飛び込ませることが出来ず、喉の奥に何かつっかえているような居心地の悪さを今夜も例外なく感じていた。
 収まりが悪く、度々身じろぎをして体勢を整えてみるが結果は変わらず、集中できないときによく感じる胸のモヤモヤが、内側から狡噛を蝕もうとする。
 
 ちょうどその頃、狡噛の隣で一定のペースで本のページを捲り、周囲を気にすることなく自分の時間に浸っていた槙島が一冊読み終えるところだった。ぱたり、と本を閉じて充足の息を漏らす槙島。
 狡噛はそれを背中で感じ取って悟る。姿をその目に映さなくとも狡噛には十分理解できてしまう。読書に満足している顔も、書評を狡噛に話したくてうずうずしているところもすべて、狡噛には伝わってしまう。
 話したそうに狡噛を見つめる視線が背中に火傷をつくる。チクチク、と針で肌を刺されるような痛み。無言で会話を求めてくる槙島を無視するには、やはり視界に映さないことが狡噛にとっては重要だった。
 
「……明かり消すぞ」
 
 そう言って、狡噛はベッド脇のランプのスイッチ紐に手を伸ばした。槙島からの返事を待つことなどしない。槙島の読書が終われば、ようやく一日が終わる。やっと眠れる。
 これまでに一度も槙島が狡噛の前から逃亡する素振りを見せなくても、やはり槙島よりも先に眠ることはどうしても憚られ、槙島が眠るのをその眼で見てから眠るように狡噛は誰よりも注意を払っている。
 もうかれこれ一年以上、狡噛はそういう日々を過ごしてきた。
 
「僕のことなんか気にせずに眠ればいいものを……」
「……お前が信用ならないせいだろ」
 
 ブランケットを肩まで引き寄せ、体をくの字に丸めながら言った。
 狡噛はベッドの上でもほとんど槙島に背を向けたままだ。槙島を生かした以上、狡噛は自分自身がその見張り役を買ってでているが、視界に槙島の姿を収めなくとも狡噛には槙島の行動が簡単に予測できる。槙島が何を考えて、何を言おうとして、どう行動するかまでもが簡単に分かってしまう。
 
「君からの信用を得るために、これまで僕も少しは努力してきたつもりだったんだけどね」
「……今更だろ」
 
 残念がる槙島も横たわると、少しばかり狡噛の背中に身を寄せた。もちろん狡噛が嫌がらないぎりぎりの距離を保って、槙島なりの無防備を狡噛の前に晒した。
 例えばそれは、武器を一切持たないことだったり、ほとんど素肌に近い格好で、急所になり得る箇所を惜しげもなく晒したりした。そうすることで、逃亡の意思や殺意の有無を示しているつもりだが、どうしてか狡噛にはなかなか伝わらない。
 伝わっていて伝わっていないふりをされているのかは槙島にもわからなかった。
 
「――そうかもしれないね」
 
 狡噛の見えないところで少しばかり眉根を下げる槙島。狡噛に言い当てられる数々の事実を否定するつもりは全くない。狡噛から信用を得ようとすることそのものが烏滸がましい行為であることは、槙島自身も理解しているからだ。
 どちらかといえば、槙島が得たい信用は、自分自身へのそれではなく、狡噛の過去に対するもののほうだ。槙島を生かしたことで生まれた重責もすべて。狡噛がこれまでに経験したすべてを許せる日が来るための礎となる信用を重ね作ることが、槙島にとっては急務な案件でもあった。
 
「分かったならさっさと寝ろ」
「そうだね」
 
 体はこんなにも近くにあるのに、心はとても遠くに感じる。
 狡噛の肩甲骨と後ろ首の骨のちょうど中間くらいの位置に槙島は口付けをしておやすみのあいさつに代えた。
 
「……おやすみ」
 
 ちゅ、とリップ音を立てたのは槙島なりの精一杯の悪あがきだった。