遣らずの雨

槙島×狡噛(『Black Rain』を観た後に書いた)






 あいつがいなくなった夜、まず探しに行ったのが海だった。
「クソ……」
 白浜に足を取られながら、狡噛は海岸沿いを歩き続けた。水面には月明かりが反射している。一歩踏み込めば、飲み込まれてしまいそうな闇が広がっていた。
 
 目視で船舶やボートの類いは見つからなかった。ホッとするのも束の間、あいつはどこへ逃げたのか。そればかりを考える。
 
 二人で過ごした時間が長すぎた。
 それは狡噛も感じていたことだった。
 槙島聖護との生活に慣れすぎている自分への恐れが少し芽生えていたところ、槙島が二人の家から消えたのだ。
 
 宛てなどないはずだ。ほとんど生活を共にした。槙島が人に会うときはないし、そういう素振りもなかった。
 もしかすると、気付いていなかっただけなのかもしれない。
 そういう疑念が狡噛の足取りを重くさせた。
 
 あいつは一体どこへ行ったのか。
 狡噛は歩みを一度止め、来た道に振り返った。
 誰もいない。そう思っていたが、槙島が遠くに立っていた。
 月光が彼の髪をキラキラと耀かせて、ここにいるよ、と報せてくれるみたいだった。
 
「槙島ァ!」
 
 狡噛が叫んだ。それと同時に駆けだした。
 槙島に逃げる様子はなかった。いや、待ち受けているというほうが当たっている。
 
 狡噛は槙島に飛びかかった。
 白のワイシャツの胸倉を掴むと、ストレートを一発きめた。槙島はそれをも受け止める。
 狡噛の拳が頬にヒットし、槙島の体は衝撃で吹っ飛ぶ。砂地がクッション代わりになり、頬以外に擦り傷ひとつつかなかった。
 すかさず狡噛は詰め寄った。マウントをとって、今度は両の手で胸倉を掴んで顔を自分のほうに向けさせる。
 
「……俺の許可無しにどこへ行くつもりだ?」
 
 狡噛が凄んだ。怒りに震える。額がくっつきそうなほど近づいて睨む。
 声が動揺を隠せていなかった。
 
「君に見つからない場所」
 
 そういって微笑う槙島を狡噛はもう一度殴った。
 
「……ッ」
 
 槙島の首がその反動で横を向く。口内が切れて血の味がした。
 痛いことには痛いが、狡噛の本気はこんな痛みではすまされない。
 
「今更……何でだよ……、」
 
 やっと見つけた平穏が呆気なく壊れていく。
 砂の城が乾いて崩れていくみたいに壊れる。
 
「……理由なんて君が一番分かっていることだろう」
 
 言って、槙島は狡噛の手首を掴む。皮膚に指が食い込む。
 狡噛の体の下で、槙島はどこか悲しげに眉を下げた。
 
「君と過ごしたこの日々も悪くなかった。だけどね――」
 
 手首の手は狡噛の胸倉を掴みにかかった。
 二人の腕が体の間で交差する。
 久しぶりの衝突が、二人の時を止めた。
 
「丸くなった牙で獲物は捕まえられない」
 
 そう言って、槙島は狡噛を引き寄せた。
 グイッと、力任せに引き寄せると、槙島は狡噛の唇に噛みついた。
 
「――ンッ、」
 
 唇を噛まれ、少し開いたその隙間から槙島の舌が狡噛の歯列をなぞった。特に犬歯に当たる辺りを重点的になぞり、それから興奮して熟れる舌に吸い付くと、自分のそれと絡め合わせる。
 
 はぁ、と充足の吐息を漏らして唇を離した。
 狡噛は自分の手の甲で唇を拭う。少し唇が切れたようで槙島の味に血の味が混ざった。
 
「……牙は研がないと」
 
 隙を見せた狡噛を槙島はその下から蹴り上げた。両手を砂について体を持ち上げて蹴り上げる。
 
 狡噛が蹌踉めいて砂の上に倒れた。
 その隙を狙って急いで槙島は立ち上がると、夜の町へ走り出した。