ユウガオの咲く道で

槙島×狡噛






 陰る空へ続く道。地平線へ消える夕焼けに温められた背中を視界に収めながら、行き先も決めずに散歩することが増えたのはいつからだろう。
 ここは多くの自然に囲まれた町。山と海を抱える国の山側に住居を選んだのは、外界との接点をなるべく避けたかったからでもある。
 山の麓に根を張った山小屋から海の見える町へと二人並んで歩いていく。
 
 狡噛慎也と共に暮らす槙島聖護は、彼の一歩後ろをついて歩いた。二人は言葉を交わす必要もない複雑な関係。まさに出会いからして最悪だった。
 あの日から、どれだけの時を共にしただろう。
 長いようで短い一日が終わり、一ヶ月が過ぎて、一年が経った。
 そうやってあっという間に、二人が初めて心を――魂をぶつけ合ったあの麦畑の記憶が、今では遠い過去のように思うようになってしまった。
 それだけ二人の間には平和な時間が流れたのだ。平和に浸りすぎて日本に居たころの感覚が鈍るほど、二人は穏やかな生活を送っている。ふつうの暮らしを送っている。
 
「なあ狡噛、どこへ行くんだ?」
 
 重たい荷物を背負い込みすぎた狡噛の背中に問うてみたところで、彼から返ってくる言葉はなく、槙島が向けた視線は行き場をなくして前方の空に向けられる。
  
――ああ、空は広い。
 
 世界は広いということを改めて感じる。籠から飛び立ったあの日以降、すべてが真新しく新鮮で、肌で感じる生きた心地に胸を躍らせる日々だ。
 狡噛と共に生きているという“生”の実感が、何よりも槙島に充足の吐息を与えた。生きる居場所を与えてくれた。
 そんな毎日が楽しくないわけがない。満たされないわけがない。
 例えこの手が、前を歩く狡噛の手に拒まれなくなったとしても。いつか辿り着く目的地で、もう一度あの日をやり直すまで、槙島は狡噛の隣で共に前へ歩むつもりでいる。
 
「……さぁな」
 
 と、狡噛は小首を傾げて返事に変える。宛てのない散歩――行く先の見つからない放浪は、生きる意味を問う狡噛にとっては意味のある行動だった。
 そう、それは行く先を探す旅。やがて辿り着くその先が、彼の――彼らの最終地点となる。
 それまでには何年もかかるかもしれない。辿り着けないかもしれない。
 それでも、歩むことに意味がある。一歩を前に進めることに意味がある。そう信じている。
 
 旅には必要最低限の荷物さえあればいい。狡噛には捨てられない大荷物が一人いる。狡噛はその逞しい背中に背負い込んだ大荷物を今日も大事に抱えている。
 あの日、捨てられなかった感情を引きずって、ここまで来た。槙島と二人でやってきた。
 
 狡噛が出かけるときはいつも側に槙島がいる。二人は常に一緒だった。狡噛はとくに片時も目を離さないよう心がけた。
 端から見れば仲の良い二人に映るのかもしれないが、本当は決してそんなことはなく、いつこの関係に亀裂が走るか分からない。まるで人型の爆弾を抱えているような緊張感が狡噛の中には常にあった。
 確かに、初めのうちはずっとそうだった。
 けれども、そういう緊張感に満ちた日々に慣れてしまうと、どこからともなく綻びが生まれる。油断が生じる。
 まさに今、その綻びがさらに広がろうとしているところだった。
 
 
 
「……おい槙島、……置いてくぞ」
 
 立ち止まったことをすぐに察知する動物的感覚を持ち合わせる狡噛が、槙島の少し前で歩みを止めた。振り向かなくても狡噛は、自分の側から槙島は離れないと確信してしまっている。
 狡噛の手が、ちょいちょいと動く。早く来いと手招く。
 
「――……、」
 
 それは、目に見えて分かる確かな変化。
 どうしても認めたくないそれを、狡噛は必死に誤魔化してきた。自分を騙して、誤魔化して、何とかやり過ごしてきた――はずだった。
 
「……うん」
 
 小さく頷いて、距離を詰める。
 隣に並んで、その優しい手に触れる。
 
 今日も二人は世界のどこかへ旅に出る。
 ここは夕暮れの陽が温かい町だった。