背中

 他人の背中ばかり見てきた。
 普通は面と向かって他人の顔色を窺うのだろうけれど、その顔を見ることが怖いので他人を背後からそっと見ることが多かった。
 陰ながら見守る――その言葉通り、礼瀬マヨイにとってそれは幸福なことだった。物陰や天井裏のダクトなどに身を潜めてアイドルの若き芽を密かに導いていく。
 そうして艱難辛苦を乗り越えた先に待つ輝かしいステージで自分勝手に導き成長した姿を拝む。それが何よりも替え難い幸せだと思っていたのに。
「……椎名さぁん……」
 誰かと一緒に眠ることがこんなにも心地良いものだと知ったのはごくごく最近のことだった。それは安寧とも言い替えられる心地良さ。そこに居ても良いのだという安堵。重なるパーソナルスペースに、マヨイはずっとドキドキしていた。
 マヨイが大きなくまのぬいぐるみを抱いて眠っていた頃に比べてふたりで眠るベッドは狭いけれど、寝返りを打って背を向けている隣の好きな人――椎名ニキの背中を見つけると、マヨイはそっとその背に身を寄せた。
「んぁ……マヨちゃん……?」
 ふたりが時々どちらかの家で寝泊まりをするようになってまだ日が浅い。お互いがお互いを大事にしたいと思っているからこそふたりは手を繋ぐのもやっとだった。
 そんなふたりの出逢いこそ強烈なインパクトがあったけれど、それから打ち解けるまでは思いのほか早かった。
 マヨイからは良い匂いがすると豪語するニキだが、それは正しく本能的に相性が良いことを指すように、ふたりが恋をしていく様子は甘酸っぱく甘美に満ちていた。
 すうすうと先に眠ってしまっていたニキだったが、マヨイの体温を背中に感じて、ニキは自分がマヨイに背を向けていることに気づく。
「あ?ごめんなさいっす。僕って寝相悪いのかな、なはは……」
 ニキは眠たげに目元を擦ってからもう一度寝返りを打ってマヨイと向き合うと腕を上げてその胸を晒した。まるでその胸に飛び込んでおいで――と言っているようで。寝付けずにいたマヨイの顔が暗闇でも分かるくらい火照っていく。
「はああっ……寝惚けてしまっていただけでしてぇぇ……そんなつもりはぁああ」
 マヨイが全力で否定しようとしてももう遅かった。
「しー……マヨちゃん、おいで。ね?」
 小首を傾げてねだられると、たちまちマヨイの立場は悪くなる。愛しいものからのおねだりに弱い。
「うぅ……はぁい……。では、失礼して……」
 ニキのおねだりにあっさり観念するのもマヨイが望んでいたことだからでもあって。間近に見る愛しい人ともっと体温を共有したいという欲望もあって。
 ニキの腕の中にマヨイが恐る恐る擦り寄ると、ニキはこれでもかと言わんばかりにぎゅうと抱き締めた。こうなるとどちらがぬいぐるみ代わりなのか分からなくなるくらいに。
「マヨちゃんやっぱり良い匂い……落ち着くっす」
 マヨイの額のほうに頬擦りをして、それからニキはマヨイの首元の髪に鼻を埋める。
「そうでしょうかぁ……。ああでも今はきっと椎名さんと私は同じ匂いがしますね……」
 共有したものが増えるだけ匂いも移ると言うものだ。お互いに好きだなぁと感じる部分も似ているように。
 マヨイはニキの料理人として人が生きるために欠かせない食事を提供するその姿にも惚れている。ニキはマヨイの陰ながらでも他人の背中を押してあげることができるその優しさも好きだった。
「なはは♪ これじゃあマーキングみたいになってるっすね」
 くんくん、とわざとらしく匂いを嗅ぐ仕草をするニキの鼻息にマヨイはくすぐったさを感じて微笑む。
「確かに……そういう日が時々あるくらいは許されるでしょうかぁ?」
 照れながらも正面からニキの顔を見つめると、マヨイの額にちゅ、とニキは唇を寄せてきた。
「燐音くんやHiMERUくんには勘付かれそうっすけど、まあ僕は隠す気もないんで……」
 アイドルとして活動する間はプライベートを曝けだすようなことは避けているものの、アイドル同士であれば黙認の関係性が露呈することもある。ニキが所属するCrazy:Bの天城燐音とニキには深い繋がりがあるように。
 ニキにとってマヨイとの関係はプライベートに当たる関係だ。
「えぇっ? そこは隠しましょう?隠すべきですよねぇぇ?」
「嘘つくの苦手なんすよね?なはは。一応の努力はするっす」
「そう言う問題でしょうかぁ……。でも……今はこうしているほうが心地良いのでぇ……こうしていたいですぅ……」
「もちろんっす♪」
「はい、おやすみなさい……」
 いつか喧嘩をして背中を合わせて眠る日があるかもしれない。また他人の背中を見つめるばかりの日々に戻るかもしれない。
 けれど、今はふたりだけの空間にいるのなら。ふたりの気持ちが互いに通じ合っているのなら。出来る限り正面から向き合い続けたい。
 そう願いながら、マヨイはニキの体温ごと抱き締めた。
  

2021.03.14 / Twitter(1hwriting)
一緒に眠るふたり。

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