トンネル

 それは、道を切り拓くためにある。
 例えばそれは、目の前が暗くなるくらいぐぅぐぅと鳴るお腹を満たす美味しいごはんをつくるキッチンに。例えばそれは、元気や勇気をもたらす大輪の笑顔を咲かせるステージに繋がっているように。
 長く暗いその道は、いつか光り輝く夢や希望を持つ人の前に現われる。
 アイドルの下積み期間は、まさにそんなトンネルの中にいるようなものだ。いつか辿り着く出口の先にあるステージを夢見て進む。
 けれど、長すぎる道のりに耐えきれず途中に点在する非常口から脱出する者もいるだろう。前に進むしかないその道の途中で歩みを止めてしまう者もいるだろう。
 正解なんて何一つ無いこの世界の片隅で、私たちはそんな道の半ばにいる。


「アン・ドゥ・トロワ……♪」
 鏡張りのレッスン室に響くリズムを先導する声。鏡に映る自分自身と向き合い、時間の許す限り稽古に励む。ここはそういう場所だ。
 アイドルの輝きが磨かれていく場所。ALKALOIDに所属する礼瀬マヨイはこの場所が好きだった。右も左も分からず迷いながらも鏡に映る自分自身と向き合いもがくその姿を見守ることが好きだった。
 そんなマヨイが稽古を付けている相手。マヨイとはユニットも違うが最近プライベートで仲を深めつつあるCrazy:Bの椎名ニキだ。
 彼の練習に付き合ってみたいというマヨイの申し出を話のついでにOKをしてしまい(夢中になって食べていたので話半分に聞いていた)、この個人レッスンをすることになった。練習はあまり好きじゃなかったが、マヨイの頼まれごとを「やっぱすんません!」なんて言って拒むこともできなかった。
「ひ~~! マヨちゃんちょっといつもと雰囲気違わないっすかぁ?」
 持ち歌を流し、他のメンバーが居ることを想定しながらダンスを披露していく。そのニキの姿を、少し後ろに離れた位置で手に顎を乗せて観察し続けるマヨイの目はいつになく真剣で。
「ほらほら、まだ曲は途中ですよぉ」
「わ~~~ん! マヨちゃんがいじめる~~~!」
 口では喚きながらもリズムを崩すことなくニキは踊り続ける。流れているこの曲が終わるまで、マヨイのジッと熱い眼差しはニキに向けられたまま離れない。
 鏡越しに感じる熱視線や凜とした真剣な表情は普段のマヨイからは感じられない一面で、ニキはそんな姿に目を奪われてしまう。
 天城燐音と出逢った成り行きでアイドルになることを選んだと彼は言うが、ニキにも十分その素質があった。彼が所属するユニットの自由度の高い振り付けは、時にアドリブも必要になる。
 最初から最後まで揃えられた完璧なユニットダンスよりも個のダンスが重なっていくような振り付けは、時に間を繋ぐ必要も出てくるだろう。
 マヨイはそれを見越してレッスンを付けている。こういうそれぞれが抱える事情を鑑みながら振り付けを考えることも時には必要だった。
 ALKALOIDには足に過度な負担を掛けられない風早巽がいることもあり、マヨイは人をしっかりと見てレッスンを付けることに長けていた。
「はい…♪ お疲れ様でした…♪」
 一曲踊り終えたニキが「ぷへ~~」とへんてこな声を上げながらその場に倒れ込んだ。
「うう、もう無理っす……お腹空いたっすよ、もぉ~!」
 空腹の兆しに駄々をこねるニキの元にニコニコとご機嫌な笑顔を浮かべるマヨイが近づくと、ポケットに隠しておいた差し入れの間食を「はい♪」と差し出した。
「! マヨちゃんの差し入れっすか? マジ感謝っすよぉ~! マヨちゃん…!」
 目の前に突如現われたスティックタイプの栄養補助食品に飛びつくついでにニキはマヨイごと抱き締めた。そして、獲物を前にした動物みたいにマヨイの首に鼻先を埋めて深々と匂いを嗅ぐ。
「わわっ……あのぉ、差し入れはこちらですよぉ?」
「そっちも貰うっすけど、あ~……ほんとマヨちゃんって良い匂いっすよねぇ」
 急に抱きつかれて驚きはしたものの、マヨイもニキの扱いに少しずつ慣れてきた様子だった。飛び込んできたニキを両腕で受け止めて、マヨイはふふっと微笑んだ。
 ふたりで一緒に倒れ込んでもあわあわと動じることもなく、マヨイの要望に応えてしっかり練習をこなしてくれたニキにマヨイはよしよし、と頭を撫でて褒める仕草を贈る。
「ずうっと椎名さんのレッスンを見てみたかったんですよねぇ私……ふふふふふ……♪」
 マヨイを片腕に抱き留めながら、ニキは早速差し入れを頬張っていく。
 それぞれが互いの欲を満たしてご機嫌になっていた。ふたりきりのレッスン室でのこんな仲良くしている姿を目撃されたら良からぬ誤解が生じかねないけれど。
 ニキは好きな人からの差し入れと匂いで空腹を満たし、マヨイは好きな人にレッスンを付けるというそれぞれが喜びで満ち溢れることをそう簡単に隠すことはできそうにない。
「良いですねぇ、こういう時間も。ふふ、椎名さんは基礎がしっかりされていますから、私も教え甲斐がありますよぉ」
「……んぃ? まさかまだやるっすか……?」
「もちろんですよぉ♪ 時間はまだたっぷり残っていますしねぇぇ♪」
 マヨイの身体の上に乗っかるように抱きついたままのニキが顔を上げて、マヨイの顔のすぐ近くまで自分の顔を寄せて「信じられない!」という顔をする。
 大きな犬と戯れるようにニキの背に腕を回しているマヨイはニキの表情とは反対にとびきりの笑顔を見せるほどご機嫌だった。飴と鞭を使い分けることも指導に長けている一面なのだろうか。
「うう……マヨちゃんが鬼っす!」
 泣き真似をして子どもっぽく嘆くも、ニキのその表情は明るくて。楽しそうで。
「泣いても駄目ですよぉ? 時間は有限ですからねぇ」
「……じゃあ、マヨちゃんからのご褒美がほしいっす! そうしたら僕もっと頑張れるっす!」
 マヨイの額に自分の額を重ねておねだりをするニキの顔が近くて、マヨイが少し照れた表情を見せた。困ったように照れ笑いを浮かべつつ、「仕方ないですねぇ」と言って、マヨイは目の前の唇にちゅ、とキスをした。
「~~っ?」
 マヨイは真っ赤になった顔を両手で覆いながらニキの下から這い出ると、スマホを操作して次のレッスン曲の選定をし始めた。
「ま、待って待って! マヨちゃん! もう一回! もう一回しよ? ね?」
 ガバッと起き上がってマヨイの元に駆け寄り、マヨイの腰に手を回して続きをねだるニキ。その口元に右手の指で代わりに口付けをさせている隙に、次の曲が流れ始める。
「ふふふ、続きはこちらの曲を終えたらですよぉ♪」
 イントロが流れ始めると、優しそうな口ぶりとは打って変わってマヨイの目に真剣さが戻り始めた。まさに鞭。飴の後には鞭が待っているように。
 鞭の後には飴が――マヨイとのイチャイチャタイムが待っている。
「もぉ?! ご褒美、約束っすからね?」
「はいぃ♪ 私で良ければ喜んで……♪ ほら、再開しますよ、椎名さん♪」
 マヨイは学院にいる頃から長い長いトンネルみたいな暗い場所にいた。ステージに焦がれながらそのステージに向けられる眩い光にその身を焼かれそうで、自分がその場所に立つことは不釣り合いだと感じていた。
 けれど、今はすこしだけ違う。ステージに一緒に立ってみたいと思える好きな人がいる。運良く彼も自分と同じアイドルだ。
 ふたりが立つ道はまだトンネルの途中かもしれない。この先にもっと長いトンネルが待ち構えているかもしれない。
 でも、一人ではないのなら。二人なら――仲間がいる今なら――越えて行けるような気がする。
「ふふふ、私は幸せ者ですねぇ……♪」
 独り言ちるマヨイの想いは、いつか夢見るふたりで立つステージへ向けて馳せられる。
 このレッスン室には共に道を歩む仲間であり好敵手がいた。そして、いつか共にステージに立てることを目指して、今日も彼らは秘密レッスンに励んでいく。
  

2021.03.21 / Twitter(1hwriting)
秘密レッスン

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