忘れ物のカケラたち
僕は覚えている。皆はどうか分からないけど。
僕はお店に来る常連さんもイベントに来てくれるファンのことも皆それぞれ覚えている。とは言え、顔や名前まで一致させることは難しいっす!正直! でも、人それぞれ持つ固有の匂いは僕の空っぽの頭にもちゃんと記憶されていて、その匂いから記憶を引っ張り出してくるような感じで思い出すことが多い。前にも来てくれたことあるな~とか。それくらいっすけど。
それは記憶方法の一種として脳内に宮殿を作る手法と少し似ていた。椎名ニキの場合は接した人の匂いがその宮殿の一つ一つの部屋に閉じ込められている。イメージとしてはそんな感じだ。
これを特技と言って良いのか、迷惑な能力なんだか分からないっすけど。
美味しそうな匂いのするあの人の動向をいち早く察することが出来るのは、利点かもしれないっすね。
自動ドアが開いて、カランカラン、とドアベルが鳴った。
「あっ、やっぱり! いらっしゃいませ~、マヨちゃん♪」
レッスン前の腹拵えをしようとESビルに併設されているカフェ・シナモンへ立ち寄った礼瀬マヨイはご機嫌だった。
所属するALKALOIDのレッスンがESビルの上層の一室で予定されている時は楽しみなことがたくさんある。ひとつは他のユニット(の愛らしい皆さん!)と遭遇する機会が多分にあること。そして、このカフェで可愛らしいデザインの季節限定デザートを堪能する時間をつくること。それを両方堪能できるのがこの場所だ。
立地的にもアイドルの利用は多く、運が良ければ近くの席になることもある。しかし残念ながら、マヨイが来たタイミングでは空席が目立った。時間的にも混雑してくるのはこれからだろうか。
このカフェでバイトをしているニキがちょうどレジ前に立って接客につく。マヨイは真正面から目が合ってしまい、オドオドと視線を泳がせる。
「こっ、こんにちは……」
心の内を隠すように手を胸の前に重ねて最低限の挨拶に留まってしまったマヨイの後方をニキは横目で確認した。マヨイが参加しているスイーツ会でこのカフェを利用することも多く、客層を把握しているニキは利用人数の確認も含めて接客を再開する。
「待ち合わせっすかね? マヨちゃんひとり?」
客としてやって来たマヨイに向かって、アイドルではなく店員として挨拶をするニキの笑顔をマヨイは目の前で受け止めるしかなかった。ライブで例えるならば最前列以上の距離感。
――近い! 近すぎますぅ!
と、マヨイが狼狽えてももう遅い。口から放浪しそうな魂をグッと飲み込んでマヨイはこの場に踏み留まり、一度呼吸を整えてから会話を続けた。
「はいぃ、少し早く着いてしまったので。……それに、新作のデザートが!私とても楽しみにしていまして」
「そうなんすよ?! マジおすすめっす! 僕の自信作っすよ?!」
ニキはカウンター越しに肘をついて前のめりに雑談を始める始末だ。とは言え、他に客が待っている様子もなく、キッチンのオーダーも今は無い。
Crazy:Bの暇を持て余した面々が溜まり場にしがちだが、他のユニットを始め事務所で働く事務員の利用も多いのに、今は時間帯的にもちょうど少なく、のんびり雑談するくらいの余裕もあった。
「では、それをひとつと、あとは……」
そうしてマヨイは飲み物と一緒に注文を終え、精算も済ませる。リッドルでの支払いは携帯端末で手軽に行えることに慣れてしまうとどうしても手ぶらになりがちだ。
「じゃあ、用意が出来たらお持ちするんで、お好きな席で待っててほしいっす」
マヨイはポケットに携帯を仕舞うと、手持ち無沙汰を誤魔化すために手遊びをしながら、空いている隅の席に腰掛けて配膳を待つことにした。夕陽が射し込んでくる窓際の席はゆっくり過ごすには心地良い眺めだ。
窓の外に映る喧騒とした外の世界から隔絶されたように、カフェ内は静かだった。バックミュージックに流れるジャズ調の音楽が耳に心地良く留まる。どこかのユニットの新曲でしょうか。マヨイは顔も名前も判らないアイドルたちを空想に招いて耽っていく。
初めて聴く曲に合わせた振り付けを即興で考える。言わばこの空想は練習のようなものだ。持ち曲のデモ音源をもらってから本番までに与えられる猶予時間が短い時もあるため、十分に振り付けを練ることが難しい場合もある。だから、そういう時のために空想は欠かせない。もちろんもっと邪な気持ちで浸ることもあるけれど。
カフェの客席をステージに見立てて、マヨイは空想のアイドルを踊らせていく。踊り続ける顔も名前もないアイドルたちを追っていたマヨイの視線は、無意識に音楽とは別の音がするキッチンのほうへ向いていた。
扉で遮られていないオープンなキッチンに立つニキの姿が眺められる。空想で踊らせていたアイドルが自然とニキの姿と笑顔に重なっていく。
人よりも食費がかかる彼の特異な体質にはお金が必要不可欠で、彼はその為に働いていると普段から話していた。今も彼は注文をしたマヨイのためだけにニキの手が動く。パフェの器に盛り付けていく手先が忙しなく動いて、ステージとは違う集中した表情にマヨイの視線は釘付けになる。
ジャズのメロディに合わせて踊っていたはずの空想のアイドルはいつの間にかどこかへ霧散し、代わりに配膳に来たニキがジ~ッとマヨイの顔を見つめていた。
「……考え事っすかね?」
「――ひいいっ!」
空想から突然飛び出してきたアイドル。驚いて硬直してしまったマヨイの前には可愛らしく彩られた新作パフェが運ばれていた。向かいの席には休憩をもらったニキが座っている。
「すっすみませんすみませぇん! ぼぉーっとしていただけでして……考え事なんて大層なことでは……」
「真剣に僕のこと見てるから何かやっちゃったかな~怒られるのかな~って思ったんすけど……違ったっすね? でも、ごめんなさい! レッスン前なのにお邪魔しちゃったっすかね」
配膳に使った空のトレーを胸に抱いたまま、早とちりをしたらしいニキは頭を掻いた。それに慌ててマヨイが両手を振って否定を示すと、ニキは少しだけほっとしたように表情を緩める。
「振り付けのことを考えていただけで、私なんかが椎名さんに怒るようなことなんて何も……! はっ、私なんかに見つめられては迷惑でしたよね? すみませんすみませんんん! 今すぐ帰るので許してくださぁいい!!」
マヨイは盛大に机に額を擦り付け、ニキの視線から逃れた。ニキを無意識に見ていたことを自覚させられたのだ。しかも本人に。そのことに遅れて気付いたマヨイはもうパニックだ。顔も上げられない。妄想や空想が趣味だなんて知られることよりも気付かれてはいけなかった――この気持ちに。
「も?ダメ。帰らないで。顔を上げて? ほら、パフェ! 美味しいうちに食べてみてほしいな~なんて……なはは♪」
ツンツン、と肩を突かれてマヨイは恐る恐る顔を上げた。への字の眉にうっすら涙目にすらなっていた。一か八か店を飛び出すことも覚悟していたものの、ニコッと笑顔を向けるニキと、店前に掲げられていた告知写真通りの新作パフェが目の前にあって、そんな考えはすぐさま消え去った。
「ああ本当に美味しそうですねぇ……」
「マヨちゃんの匂いも美味しそうな匂いに戻ったっすね!」
マヨイの表情や言葉尻を真似るニキに、改めてマヨイは居た堪れなさに苛まれてしまった。けれど、このパフェを見てしまってはもう完食するまで立ち上がれない。それに食べずに帰るなんて、一生懸命作ってくれたニキにも悪い。
「さっきはその……取り乱してしまって……。私振り付けを考えていたんです。なのにこれを作っている椎名さんをつい見てしまっていたみたいで……」
見惚れていたとは気付かれたくなかった。それにこの気持ちはまだ確かなものではない――かもしれない。私が椎名さんを好きだなんて。
「もしかして、マヨちゃんも作ってるところ興味あるっすか?」
「へ? もちろんですぅ、このような愛らしい盛り付けは私には到底出来そうにありませんし……」
モグモグ、とトッピングのアイスが溶けてしまう前に口に頬張る。舌の上で溶けていくバニラの味。目元を崩してふにゃふにゃの笑顔を浮かべて食べ進めていくマヨイの前で、ニキは満たされていた。こんな風に美味しそうに食べてくれることが嬉しくて――もっともっと君のために作ってあげたくて。
「じゃあ今度、寮の共有スペースでパフェ盛り付け大会でもするっすかね!」
「ふふふ、それはとても楽しそう……♪」
「んじゃあ決まり!予定が合いそうな人誘ってみるっすね。盛り付けたいトッピングは各自の持ち寄りにして、ベースは僕が責任持って用意するっす!」
ユニットも年齢も違うふたりがこうして仲良くお話しするようになってから胸の内側に現れたモヤのような塊。それが恋心だと確信するにはまだまだ自覚が足りていないが、こうしてふたりで過ごしていると、その気持ちは仕草や行動に顕著に現れる。
そしてふたりは、互いの前にその恋心の芽を置いていく。ひとつふたつ、と好きのカケラをお互いの前に重ねていく。
また会う約束を交わして、忙しい中でも話す機会を増やした。そうして互いの前に置いていった好きのカケラをまた届けにいく。まるでわざと忘れ物をしているみたいだった。ふたりで会うための口実にしているみたいで――もしかするとそろそろこのカケラはひとつになる頃合いなのかもしれない。
「……マヨちゃん、待って! 今度オフが重なったら、君に話したいことがあるっす!」
パフェを完食したマヨイがレッスンへと向かうため、立ち上がったその背に向かってニキは一歩を踏み出したのだ。
「――!」
去り際のマヨイの腕を掴んで、ニキはマヨイを引き留めていた。ジッと真剣に見つめてくるニキに、マヨイも躊躇いがちにその目を見つめ返す。
「わっ私も……椎名さんに伝えたいことがあるんです」
振り返ったマヨイの頬がうっすらと赤らんでいて。掴まれた腕から体温がジワジワと蝕まれていく感覚が走り、照れるマヨイの顔はとびきり可愛くて。
「!?」
お互いに気付きつつある好きの気持ちはもう隠しきれないところまできているのだ。マヨイの匂いがよりいっそう美味しい匂いになっているように。恋の隠し味はきっとどんな料理も魔法みたいに美味しくなるに決まっている。
「では、また……。楽しみにしてますね」
「僕も楽しみにしてるっす」
ぎこちないお別れになってしまったが、笑顔で見送ることができた。何よりももう気付かれているに決まっている!
「…………ど~しよう……」
へにゃへにゃと脱力してその場にしゃがみ込んだニキの顔もまた紅くなっていて、ふたりの恋はもう止まらない。きっと、ずっと。
カフェにて。両片想い→両想い寸前。
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