契り
バタン、と扉が閉まると同時に椎名ニキは一緒に帰ってきた礼瀬マヨイを壁際に追い詰めた。
マヨイの顔の横に手をついて身動きを封じると、マヨイのマスクに指を掛けて口元を解放させる。至近距離で見つめられていることにわなわなと唇を震わせるマヨイのそれは、これから待ち受けることへの期待からなるものだった。
ニキは自身の口元を覆っていたマスクを顎まで下ろすと、待ちかねているマヨイの唇をそっと食んだ。
「ンッ……、」
散々お預けを食らい続けたキスの味は格別で。ニキはまるでマヨイの唇を甘味のように優しく、味わうように甘く噛んで堪能していく。
重なる吐息が熱っぽく、咄嗟に目を瞑ったマヨイの睫毛が緊張に震える様をニキは唇を堪能しながら愛おしげに観察する。
「はァ、マヨちゃん……、」
接吻ける角度を変え、唇肉を吸い、マヨイの緊張を解いていく中で名を零すと、マヨイの背はぞくぞくと震え上がる。
心地良い瞬間だった。
必死に求められることが自身の存在を強く肯定してくれるようで。ニキの腕に縋り、もっと欲しいとキスをせがむ。
「んぅ、は……しい、な……さぁん……っ」
マヨイからもニキの唇を甘く噛んだ後、緩く唇を開いてその中へニキを招こうと誘う。熱を帯びた舌がニキの唇を舐めた瞬間、マヨイはあっという間に口腔内をニキの舌に蹂躙されていた。
「は……ぁ、ふぅ……ンン……っ」
ふたりは舌同士を絡め合い、歯列をなぞり合い、唾液を交換し合う。夢中だった。必死だった。
命取りになりかねないスキャンダルの火種になり得るふたりの関係は、仕事が舞い込むようになってきた今だからこそひた隠しにする必要があった。良き友人で良き仕事仲間として接することを余儀なくされる。
好きという気持ちを殺さなければならない現実が苦しくて、もどかしくて。
久しぶりに会うことが出来た今夜――、秘密のこの家で、ふたりのまだ若い情熱と愛情がこうして爆発寸前まで高まっていた。
かくん、とマヨイの膝から力が抜けるのが分かった。肩に掛けていたバッグは支えきれずに肩からずり落ちる。
マヨイの膝が頼りなく震えるのは、ニキとの口付けが心地良すぎるせいだ。壁に縫い付けられていたマヨイの背が少しずつずるずると下方へ落ちていく。
「ふっ……し、いな、さん……椎名さぁん……」
補食されるようなキスの合間に、マヨイは切なげに何度もニキの名を呼ぶ。
帽子と眼鏡とマスクで顔を隠し、長髪の襟足は一纏めに括って帽子の中に仕舞い込んで変装しているせいで、普段とは違う雰囲気を纏う。
立っているのがやっとの状態にあるマヨイが見上げるようにニキを見つめると、彼の余裕のない表情に胸が締め付けられるようなトキメキを覚えた。
「は…ぁ………、マヨちゃん、」
部屋の明かりも付けずにキスを貪り合うふたりの吐息と熱が静かだった部屋に充満していた。
ようやく唇を解放されたマヨイはくったりと膝が折れてその場にしゃがみ込んだ。荒く呼吸を繰り返しながら、目の前にあるニキの足にしがみつく。
「……椎名さん……、私……、わたし……」
昂ぶってしまった自身の熱を悟られるのが怖くて。歪んだ醜い欲望を打ち明けてしまうのが怖くて。嫌われたくなくて。拒まれたくなくて。
この一線を越えるのは学院を卒業してからと決めていたのに――欲しくて欲しくて堪らない。
「マヨちゃん……」
力無くしゃがみ込んだマヨイの視線と合わせるように片膝を着いたニキは、ぎゅっとマヨイを抱き寄せた。しっかりと腕の中に閉じ込めて、瞳を潤ませるマヨイの願望を受け止める。
「……マヨちゃんのこと、僕ぁ絶対大事にする。だから……、僕のことは恨んでいいっすよ――」
マヨイの耳元で囁いたそれは、ニキなりの誓いの言葉。
約束を破って求め合おうとする行為に対する契りの言葉の意味に気付いたマヨイはもう、ニキのこと以外は考えられないくらい共有した熱に溺れてしまっていた。
大人と子どもの線引きを踏み越える。
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