激情
重ねた時間の分だけ情が湧く。
一緒に過ごす時間が長ければ長いほど想いは強くなる。友だちも仲間もそうだ。関わる皆それぞれに情が湧く。それが人というものだ。
「マヨちゃん……」
椎名ニキに抱き締められている礼瀬マヨイは、彼との久しぶりの触れ合いに、疲れた身体が解されていくのをその腕の中で感じていた。目を細めると、よりニキの体温や拍動を感じることができる。
マヨイにとってそれは何よりも癒される。愛らしいものの姿を見ることと同義になるほど、彼と過ごす時間がマヨイにはかけがえのないものになりつつあった。
この数週間、ふたりはすれ違いの日々だった。アイドルとしての仕事が舞い込むようになり、互いが別のユニットに所属しているということも重なって、ふたりは会えても会話すらろくにできないことが続いていた。
会えない時間が寂しさを増幅させる。その寂しさと一緒にお互いへ向けられる気持ちも溢れていった。仕事の時間が楽しいと思えるようになっていくにつれて、我慢することも覚えた。眺めたい一心で天井裏に潜むことも、食べたい一心で冷蔵庫の中身を空にすることも、抑えなくてはならない状況が増えた。
ESビルの地下にある一室で再会を果たしたふたりは、出会い頭に抱擁をして交歓する。
「お会いしたかったですうぅ……」
弱音を素直に吐き出すマヨイの手が、そっとニキの背の服を掴む。
きゅ、と掴んで、ニキの肩に頭を預けたマヨイは、自分を包み込むこの腕が振り払われないことを知っている。マヨイを丸ごと受け止めてくれるニキにすっかり安心しきっているマヨイが、そっと視線を彷徨わせた。
それは、キスをねだる目だった。抱きしめられるだけでは物足りない。もっともっと心の奥深くまで満たされたくて。
顔を上げたマヨイは、懇願するようにニキを真正面から見つめ直し、唇を薄く開いて吐息を零した。
「……僕、これからもうひとつ仕事があって、」
「椎名さん、」
「マヨ、ちゃん……そんなめで見つめないで、僕だってたくさん――」
薄暗い地下室は、人気も無ければ明るさも無い。朧気に灯された白昼色の蛍光灯はカチカチと音を立てて今にも消灯してしまいそうな暗さのある部屋に、今はふたりだけ。他に気配は何も無く、あるのは少し埃っぽい部屋に充満していくふたりの情熱だけで。
「……キス、だけで我慢しますからぁ……」
ぎゅうと抱きついてねだる。マヨイがこうなってしまったら彼が満ちるまで愛情を注ぐしかない。ニキは飢えの苦しさを知っている。形こそ違えど、マヨイはニキの愛に飢え、ニキはド直球にそれを求められていた。
「……今、キスしたら、マヨちゃんのこと遠くに連れ去りたくなる」
ふたりの吐息が重なるほど近く顔を近づけたまま、ふたりはお互いの心に宿った情の激しさを理解した。
これはもう、本気なのだとふたりは思う。
一時の感情の昂りによる交歓ではなく、ふたりは確かに互いを欲し、そして何よりもお互いを求め合っていた。
「……明日! 明日は学校だけっすか?」
興奮を隠せない身体を何とか誤魔化すようにニキが問う。ニキは社会人だけれど、マヨイはまだ学生なのだ。キスよりすごい情熱を欲しがるマヨイをキスだけで宥めるには限界があった。当然、ニキもそうだった。マヨイからの熱烈なスキンシップを『学生』という一言が理性となってニキの行動を抑制してくれている。
けれど、それももはや時間の問題だった。
今すぐ押し倒して自分を求めるマヨイを激情に溺れさせたい。そんな衝動を空腹時よりも必死に耐え続けるニキのその行動も全てマヨイへの気持ちが本気だからだ。
「……明日は学校の後にレッスンだけですね……」
そう答えるマヨイの眼差しはすっかり期待に満ちた瞳だった。ニキの背に腕を回してマヨイは大好きな人を抱きしめ直す。
少しでも長く一緒にいたい。
少しでも長く幸せを分かち合いたい。
マヨイの腕からはそんな気持ちが止めどなく溢れていて、ニキはそんなマヨイを抱き締めるだけでお腹がいっぱいに膨れるような心地良さと幸福感を感じていた。
「じゃあ、レッスンの後、僕のバイト先まで来て欲しいっす! 夜ごはんご馳走するんで、最近会えてなかった分、たくさんお喋りしたいっす」
にひ、と目元を少し崩して微笑うニキにつられてマヨイも「はいっ」と照れ笑いと共に応える。
些細な約束がふたりには大きな意味があるものだった。それは、この胸の内に燻る激情をお互いに受け止める準備があるということ。この激情を理解りあえる相手がいるということ。
抱擁で誤魔化したそれらと明日の約束を心に秘めながら、ふたりは別れ際になってからようやくキスをした。別れ際でなければ止まらなくなるから。もっともっと、と欲しがってしまうから。
だから――今は少しだけこの激しい胸の高鳴りを深呼吸して隠し、本当にふたりが誰の目にもつかない居場所を見つけるまでは、触れ合うだけの物足りないキスで我慢するのだ。
「……はぁ、椎名さぁん……」
マヨイの手を振りほどくしかないこの今を僅かに恨みつつ、ふたりはアイドルとしての居場所も確立させるべくこの地下室の逢瀬に幕を下ろす。
back