はじめて
もうすぐ春が来る。
君とまだ過ごしたことのない季節がやってくる。
「……暖かくなってきましたねぇ」
今日は屋上庭園で待ち合わせをしていた。ここは空に近い分、春の陽射しを強く感じられた。新緑の香りにニキが手土産として持ってきてくれたドーナツの美味しそうな匂いが混ざる。
この場所には今、ニキとマヨイ以外の姿はなかった。ふたりはベンチに腰掛けて雑談を交わしているところだった。
軽食を一緒に味わい、それぞれの近況を打ち明ける。そんな他愛のない時間がふたりの間に芽生えつつある気持ちを育ませる。
ふたりがよく話すようになってからは、お互いの重なったオフ時間を有効活用して色々な話をしてきた。色々な場所に遊びに行くようにもなった。
良き友人であり、良きライバルユニットでもあるふたりが、こうして人目を盗むように逢瀬を繰り返すほど意気投合した理由は分からない。けれど、ふたりで過ごす時間がユニットのメンバーと過ごす時間とは違う楽しさや心地良さがあった。
「ぽかぽか陽気だけど、ここなら日陰もあって過ごしやすいっすね」
軽食に持ち寄ったドーナツを頬張るニキがそう言って笑みを向ける。人混みが苦手なマヨイでも、この空間なら過ごしやすい。それに人目を気にせず過ごせることで気が緩み、緊張が解けたマヨイがよく微笑ってくれる。
「このドーナツも椎名さんの手作りですか?」
「そうっすよ!お好みでシナモンパウダーをかけるのもアリっす!」
ニッと得意げに笑うニキにつられてマヨイも微笑むと、マヨイは一つ目のドーナツの最後の一口を頬張った。
その様子を横目に見守るニキの手は二つ目のドーナツに手が伸び、パクパクと大口で平らげていく。まるで魔法みたいに次から次へと口に運ばれて消えていくその様子は、見ていて気持ちが良い食べっぷりだ。
「そう言えばそろそろカフェの新作が出る頃でしょうかぁ?」
「そうっすねぇ、春はやっぱり桜がモチーフっすね」
「桜と言えば……!」
と、マヨイが両手を合わせて何かを思い出した。
「この近くに桜が綺麗に咲く場所があるんですよぉ。ご存知でしたでしょうかぁ?」
ESビルが建つ一画から少し歩くことになるが、距離的にはそれほど遠くない河川沿いに、毎年綺麗に花を咲かせる桜並木がある。ESビルに向かう道すがら、それを確認することができるのだが、今年はそこへ行ってみたいという気持ちが湧いてきた。いつもならESビルの薄暗い部屋の窓から眺めるだけで満足していたその光景を、マヨイは彼と一緒に見たいと思わずにはいられなかった。
「んや、知らなかったっす! マヨちゃんは夜桜が似合いそうっすね」
ニキはそう言ってマヨイの三つ編みにそっと触れる。
「マヨちゃんは綺麗な髪色をしてるからきっと桜色も似合うっすよ」
「そうでしょうかぁ? ふふ、でも夜桜は好きですねぇ……こう妖しい感じが……ふふふ……」
触れられたことに動揺することもなく、マヨイは何かを妄想して楽しげに笑う。その妄想にはニキが映り込んでいるのだろうか。
「ねぇ、マヨちゃん。桜が咲いた頃、オフが重なったら夜桜を一緒に見に行かないっすか?」
マヨちゃんさえ良ければ……と、念押しする辺り、ニキも慎重だったが、マヨイから二つ返事で返ってきた。
「はい! 私で良ければぜひぃ」
約束、と言ってマヨイは自ら小指を差し出すと、ニキも自身の小指をそれに絡め合わせた。手が触れるのも、髪に触れるのも初めてだった。それなのにマヨイは嫌な素振り見せずに受け止めてくれている。
――これってもしかして? もしかしなくても脈アリっすか……?
「んじゃ、約束っす! その時はお夜食作っていくっすね!」
「はい! ふふ、楽しみにしていますねぇ」
初めて迎える春の兆しと一緒にやってきた恋の兆し。
暖かくなってやがて桜が芽吹くように、ふたりの恋ももうすぐ開花する。
君に恋をした。幻影飛行船の前後。
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