ホットミルク
「……マヨちゃん、もう寝ちゃったっすか?」
お泊まりの日、ひとつのベッドで眠りに就く前のこの瞬間が怖かった。
身動げば触れ合える距離や下ろした髪から覗く蒼い瞳が優しいことも、一枚の掛け布団のなかでふたりの体温がゆっくり解け合っていくこともマヨイは怖かった。
怖いと思うのは嫌われることを恐れているからだ。
マヨイはニキのことが好きだからこそ怖かった。
柔らかなシーツに沈み微睡んでいくなかで、己の浅ましい妄想や醜い欲望が制御できずに勝手に膨らんで、すぐ隣に横たわるニキにそれらの変態的本性が晒されてしまうことが怖かった。
何よりも「もしかしたら……」と、勝手に関係の進展を期待している自分に引かれてしまうことが怖かった。
――だって、このバクバクと高鳴って抑えきれない鼓動は、呼吸を止めてみても、顔を俯かせて寝たふりをしてみても――繋いだ手からあっさりと伝わってしまうから。
それでも、マヨイは微睡みに溶け落ちるこの瞬間が好きだった。
ニキへの好意を自覚し、ふたりでゆっくりと恋を育むなかで得た安息できるテリトリーは、ステージ上で浴びる歓声やスポットライトやペンライトのきらめきとは異なる高揚感を呼び寄せる。
これがしあわせというものだと自覚を強める度に、マヨイはニキと過ごす夜を心地良く安心できるものだと意識していった。
「……まだ起きてますよぉ」
繋いでいないほうの手を胸元に持っていき、マヨイはパジャマの上から自身の心臓を押さえ込む。
そうして心臓の音を隠しながら顔をそっと上げてニキと視線を合わせると、暗くした部屋のなかでもふたりの目が合ったのが分かった。
「あ……」
マヨイは思わず声を詰まらせる。見つめてくるニキはとびきり優しい笑みを携えており、ドキッと心音がさらに弾んでいく。
「……マヨちゃん、緊張してるっすか……?」
そう言って、ニキはマヨイが気付かれないようにと左胸を押さえ込んでいた右手を覆うように掴んできた。
仰向けだったニキが寝返りを打って横向きになったせいで、ふたりの顔がより近づく。囁くように問われ、両手を掴まれたマヨイに、もう逃げ場がなかった。
――気付かれる。このままでは嫌われる。
ダメと言われているのに欲しがるこどもみたいに我儘な私に呆れられてしまう。
「い、いえ……そんなことは……」
余計なことを口走ってしまいそうでマヨイは咄嗟に取り繕う。ふるふると首を横に振ってマヨイが否定を示すと、ニキは安堵したように微笑んだ。
「そうっすか? ……本当は、マヨちゃんが僕のこと怖がってるんじゃないかって思ったりもしたっすけど……、僕の隣で安心できてるなら良かった」
心底ホッとした様子でニキは深く息を吐き出した。ニキのほうこそ、必要以上に触れてしまうのではないかと恐れ、緊張して張り詰めていた糸が解けたようだった。
マヨイは自分の浅ましい本性が好きな人の目に晒されることを恐れた。
ニキは自分の横で好きな人が安心して眠れないことを恐れた。
そんなささやかな誤解も解けてホッとしたニキは、マヨイの手を離す代わりにマヨイを抱き締めた。
「良かった……」
と、独り言ちて、マヨイの背をそっと叩いてあやす。
「……うう、安心したらお腹空いてきちゃったっす」
ぐぅぅ……と、ニキのお腹の虫が鳴いて、ふたりは目を丸くして互いの顔を見つめ合った。
「もう夜更けですが……?」
「なはは……こればっかりはしょうがないっすね~」
と、自身の体質を恨めしく思いつつも、割り切っているニキはある意味でドライだ。
マヨイを腕のなかから解放すると、自分の後頭部を掻きながら冷蔵庫の残りものを思い浮かべる。
「……軽食……うーん。そうだ、ホットミルクつくるっすけど、マヨちゃんはどうします? おねむだったら先に寝ちゃっても……」
ふたりの間にあったおとなとこどもの一線がふたたび浮かび上がった。
ニキのお腹が鳴らなかったら越えていたかもしれないその一線は、他の誰でもないふたりのためにあるものだ。今ではないいつかの未来に、ふたりの胸に芽生えた愛を確かめるために。
ふたりは互いの頬の赤らみを誤魔化すことはせずに、いつか来るだろうその日を胸の内に今はまだしまっておくことにする。
きっとこの判断が正解だったと、おとなになったふたりで頷けるように。
「わ、私も! 私も飲みたいです! ……それにもう少しだけ椎名さんと起きていたい……なんて、」
照れた顔を両手で隠すことなくニキに晒すマヨイに、ニキはご満悦そうにニィッと笑みを浮かべる。
「なはは、夜更かしもマヨちゃんと一緒なら怖くないっすね」
「はい!」
疼いていた欲望の芽も不埒な妄想も弾け飛び、マヨイは好きな人ともっと話したい! という純粋な欲求に心を奪われていた。
「りょ~かいっす。じゃあ、ちょっと待っててね。すぐつくっちゃうっすから」
起き上がったマヨイの頭を撫でてからニキはキッチンのほうへ向かう。その背中を少しだけ寂しそうに目で追いかけるマヨイは、ニキに触れられた頭部をもう一度自分の手で撫でた。
そうして心が満ちていく感覚にふふっと微笑むと、マヨイも遅れてニキの後を追いかける。
ふたりの夜更かしの時間は、愛情を込められてつくられたホットミルクのように優しく甘い時間になることだろう。
ベッドが〝こわい〟ふたりが夜更かしする話。
幻滅されたくないマヨイと安心してほしいニキ。
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