名残
槙島×狡噛
「――寝過ぎた……」
目を覚ました狡噛が枕元に置いたデバイスで時間を確認してぼやいた。「あー……」と大袈裟に溜息を吐く。
珍しく遅い朝。起きたのは自分だけだった。窓から高く昇っていく太陽光が射し込んで部屋中がどこかキラキラと輝いていた。淡くぼんやりと光る自分たちには似つかない部屋には昨夜の名残がところどころに点在している。
隣で健やかそうに眠る男の存在は無視して上体を起こした狡噛は、溜息交じりにガサガサと頭を掻いた。ベッドの端に腰掛けてまだ朧気な思考がクリアになるのを待つ。
自分が何も身に着けていないことくらい見ずとも分かる。いつも通り起きられなかったのも、腰は重いが身体は妙にスッキリしている理由も分かっているが、何をしていたかなどはっきり言葉で言われたくなかった。
面倒な奴が起きてしまう前に、狡噛はどこかへ脱ぎ捨てられた下着と服を探すことにする。
「……あの野郎」
壁際へ放り投げられた下着を見つけた狡噛が呆れた声を漏らした。不意に自分勝手に盛ってくる昨夜のアイツの姿を思い出しそうになって、誤魔化すように煙草を見つけると火を点けた。
ろくな抵抗もせず、流された自分にも非はある。拒絶したところで聞きやしないうえに、余計面倒くさいことになることは明白だった。だから、受け入れた。ただそれだけだ。行為に伴う感情は何もない。
「ふう……」
深く吸い込んだ紫煙を天井に向かってゆっくり長く吐き出して記憶を消去する。こうして誤魔化すことで偽りの平穏を呼び戻す。
目立つことさえしなければ命を奪われる危険も少ないこの町で、殺したいほど憎い男と狡噛は共に暮らしている。
この日々を平和だというのなら、あの国での平和はいったい――。
「――さむい」
グラッと視界が傾ぐ。
「は――ッ」
背後でまだ眠っていたはずの槙島聖護の手が急に伸びてきて、狡噛は槙島のすぐ横へ引き寄せられた。後ろから掴まれた左肘や左半身が下になるようにベッドへ倒れ込んだ。
「このクソが!」
傾いだ瞬間、辛うじて右手を高く上げて煙草をベッドから遠ざけた。咄嗟の判断だったが功を奏す。背中からがっちり抱きしめられていて、その腕の中から逃れようにも現状このままではやりにくい。煙草が邪魔だった。
狡噛は半分ほど吸った煙草をギュッと握って火を強引に揉み消すと、右肘をガッと振り下ろして槙島の首を絞めにかかった。仕返しだ。
「……まったく朝から乱暴な奴だな」
しかし槙島は、狡噛から反撃がくると読んでいたのか、腕で肘打ちを阻止すると呆れ声で溜息を吐いた。
「ベッドで煙草は吸わないでくれと言ったはずだが」
付け足して文句を言うと、槙島の手が狡噛のきつく握り締めている右手へ伸びていく。そこに残骸があることは分かっていると言わんばかりに、拳を開こうとしてくる。
「元はと言えばお前のせいで……!」
煙草のにおいははっきりと残る。昨夜から換気をしていない部屋に混ざった煙草のにおいに、槙島は目を細めた。煙草のにおいはあまり好みじゃない。
「こんなもので誤魔化そうとしたって現実は何も覆らない」
狡噛の右手にしまわれた現実逃避のそれ。きつく握って浮かんだ血管や、手の甲や指の筋をなぞっていく槙島の指先は、灰と化した煙草を取り出そうとしているのかと思いきや、槙島は撫でることに満足すると狡噛の手を覆うように握り締めた。
「な、なんだよ……」
背を向けたままでいる狡噛は少しばかり後悔した。顔が見えないから槙島の感情が読めない。声である程度判断できても確証は得られない。
手を握られたままジリジリと焦りが浮かぶ。そんな様子をすぐ近くで観察している槙島は、いつもながら間違ったほうばかり選んでしまう狡噛に苦笑する。
「お前は、狡噛慎也だ。昨日の君も、今日の君もね」
昨夜の行為を否定することは許されても、昨夜の自分自身を否定することは許されない。
「あー……クソ。お前はもうずっと起きてくんな」
反論することを諦めた狡噛はもう一度枕に頭を埋めた。槙島の手を振り解き、ベッドサイドに煙草の吸い殻と灰を一塊にして置くと、横向きのまま槙島に背を向けて二度寝を選ぶ。
「おや、二度寝とは珍しいな」
てっきり起きると思っていただけに槙島は純粋に驚いた。
「起きてるとお前がうるさいからだ」
「じゃあ僕も少し眠ろうかな」
そう言って、何でもない一日の朝に、ふたりは微笑んだ。