Cloak







「……ここにいたのか、槙島」

 家の裏手にある岩場に腰掛けていた槙島を見つけてホッとした狡噛が、背後から歩み寄ってそっと声を掛けた。
 裏手の斜面までには砂利道を通るせいで意識しなければ否応なく足音が目立つ。わざわざ声を掛けなくとも気付いただろうが、狡噛は敢えて槙島に声を掛けた。

 槙島は振り返ることもせず吹き抜けていく風に目を細め、外の音を聴き続けている。槙島にしては珍しく本も持たずに佇んでいたようだった。
 月明かりだけに照らされる周囲を一瞥した狡噛は、不意に煌々と輝くネオンやホログラムに囲まれて暮らしていた頃を思い出す。地上から見上げても霞む小さな空と澱んだ空気が道を隠し、どこに向かって歩めば良いのかが分からなくなるあの言いようのない焦燥は、この場所では無縁の感情だった。
 自然の色に包まれた箱庭。天に近いお陰で、両腕に抱えきれないほどの星空がふたりの世界の真上に鎮座している。まるでこの場所にふたりを閉じ込めようとしているかのように。

「静かだ」

 裏手の斜面を下れば樹々が生い茂る深い森が続く。その方を見つめながら槙島がぼやいた。

「その方が休まって良いだろ」
「そうかな。僕は少し落ち着かない」

 ふうん、と空返事をしながら槙島の横に座った狡噛は、手癖のようにポケットを漁って煙草を取り出すと一服をし始めた。
 狡噛がふぅと吐き出した紫煙は槙島の反対側の方へ流れていく。

「退屈って顔だ」

 横から覗いた狡噛がおもむろに槙島を見つめる。目が合うとふっと微笑った狡噛のその態度は槙島に対する何らかの理解を示していることへの表れなのだろうか。
 槙島が見ていた方向に狡噛も視線を移した。中腹の山道に繋がる獣道。これまでの経験から聴力が良い狡噛は、紫煙を何度か燻らせながら周囲の様子を伺うだけに留める。
 槙島に逃げる様子がないことは明白だった。

「そうでもない。友人がいる」
「友人? あぁ、あの狼か」

 槙島に何故か懐いている野生の狼。槙島はそれを友だちと呼んでいた。
 狡噛の居ない間に親しくなったというその友人をここで待っていたのだと合点がいくと、狡噛は完全に脱力した。狡噛は槙島の姿が見えなかったことで多少なりとも警戒していたのだと改めて自覚する。
 狡噛以外の人間と疎遠になっている槙島にとって、狼たちは退屈を忘れさせてくれる存在だった。気紛れに顔を見せるその友人は、槙島のここでの暮らしに意味を持たせた。そして、狡噛はそれをどう受け止めてよいのか迷っていた。

「でも、君が来たから今夜は来ないだろうね」

 狡噛が手に持っていた煙草を横取りした槙島は慣れないそれを一息分吸い込むと、今度は槙島の方から狡噛を覗き見る。
 一列に並んで肩が触れ合わない程度にパーソナルスペースを重ねていたふたりだったが、それをさらに深く重ねて槙島から狡噛に口づけた。

「君はときどき彼らより獣臭いから」

 そうして狡噛に吐きかけた紫煙を使って、ここで密かに繰り返していた逢瀬を誤魔化す素振りを見せながら、眠るために迎えに来た狡噛の唇に吸い差しの煙草を咥えさせた。

「っ……、お前な……」

 いつだったか交わした約束。逃げることを危惧してまともに眠れなかった狡噛への罪滅ぼしのように狡噛より先に眠るようにしている槙島は、先に立ち上がって膝を払うと狡噛の手を取って立ち上がらせる。

「さぁ、寝ようか」

 そう言って槙島は斜面を上り始める。触れた狡噛の手の温かさに秘める人恋しさを噛み締めながら、今夜はよく眠れそうだと微笑んだ。