One’s way home







「アレは君の知り合いか?」

 狡噛が運転する車で出掛けていたその帰りのことだった。夕刻も間近になり、陽が落ちれば辺りは視界が悪くなる為、ふたりは帰路を急いでいた。
 そんな折、後続車のパッシングに気付いた槙島聖護がそう問うと、バックミラーとサイドミラーを交互に睨みながら運転を続ける狡噛慎也が否定する。

「いいや、俺は知らないね」

 しかし、ふたりを乗せる車は緩やかにスピードを上げていた。建て付けの悪い窓や積載しているコンテナボックスがガタガタと音を上げ始め、槙島は後続の車に乗る誰かが何者かを悟る。

「またか?」
「さあな」

 狡噛お得意のはぐらかしをしたところで、追ってくる車が日本政府の使いの者でない限り、ふたりにとって、特に狡噛にとっては敵対する誰かでしかなかった。一方的に恨まれるようなこともしてきた結果だ。
 コンクリート舗装されていない山道でスピードを出す行為は、はっきり言って自殺行為だ。中心部の大きい町には近代的に整備された道もあるが、一つ山に入ればそうとは限らない。車が一台ずつすれ違えれば十分広いと認識されるくらいの道幅。不揃いの砂利で舗装がされており、急発進すると車体は簡単にバランスを崩す。
 だから、山道の運転は誰でも慎重になる。特に慣れていなければ初めのうちはスピードを出すのも躊躇うだろう。
 そんな道がそこに山がある限りどこまでも続く。果てのない一本道は曲がりくねったり直線になったり勾配も緩急様々だ。地平線に隠れたその先の道は一体どこに繋がっているのだろう。
 普段から運転をさせてもらえない槙島は、頭では山道の危険性を分かっていても、背後に現れた狡噛の友人、、の予想される行動は一つしかないことを理解していた。
 それに、狡噛の横顔を見ても分かるように、狡噛の目は既に獣を狩る獣の眼をしており、槙島は半ば諦観の姿勢でこの状況を受け入れるしかなかった。

「君に余程早く会いたいらしい」

 背後の車はどんどん車間距離を詰めてきていた。槙島が気付いた時はまだ尾行程度を維持していたが、もう十分にバックミラーに収まりきらない距離にいた。
 しかし、近付いてきたお陰で分かったこともある。
 乗っているのは男がふたり。顔の半分はマスクや布地で覆って隠しているが、野戦服を着用しているようだが手入れは行き届いていない。
 車種の体格差は勝っていても、搭載している武器の種類までは判別し難い。そもそも狡噛が所有するこの車はテクニカル車でもなければ、戦闘に用いる為に用意した車でもない。
 こちらの武器は予備で車載しているライフルが一丁だけだった。しかも、狡噛が普段から丁寧に手入れをし続けているほうではない。流石に狡噛も心許なかった。
 追手は恐らく残党のゲリラで間違いないだろう。誰かに雇われた傭兵なら躊躇せずにさっさと迫撃砲でも何でも撃ち込んでくる。
 だから、戦闘を避けて逃げ延びれるのなら逃げ延びたい気持ちが狡噛には少なからずあった。不必要な戦闘も殺しも避けておきたい。
 けれど、それは相手には伝わらない。怒りや憎しみに囚われた人間の心理を、狡噛は痛いほどその身で理解しているつもりだ。
 どうしたもんか。狡噛の焦りがジワジワとその表情に反映されていく。車内の空気が凍り付いていく。

「――槙島、運転代われ」

 ミラー越しに見えた残党ゲリラの一人が銃を持っていたのが見えたのだ。こちらからは先に手を出すまいと、鞘を握って耐えるようにハンドルをきつく握りしめていた狡噛がついに痺れを切らした。
 狡噛がミラー越しに助手席の槙島を見やると、槙島は信じられないという顔をしており、狡噛を余計に苛立たせる。

「本気か?」
「いいから早くしろ! 死にたいのか!?」

 声を荒げた狡噛はアクセルを踏み込んだまま、槙島の返事を待たずして体勢を入れ替えようと腰を浮かせてスタンバイし始めた。
 アクセルを踏んだまま片足を助手席側のスペースに移動させる。車は前進をし続ける。停めれば仕舞だ。狡噛は前後をその目で確認しながらハンドルを操作し、槙島が座れるだけのスペースを確保する。
 ふたりを乗せた車はなだらかな下り坂に差し掛かった。アクセルを踏まずとも惰性で走行が可能だ。それに、この先はカーブの少ない直線な道。確かに運転を代わるなら今しかない。覚悟さえ決まれば槙島はいつだって冷静だった。

「僕への貸しは君には高くつくんじゃないか?」

 と、笑って言う槙島も顔は笑ってなどいなかった。

「行くぞ」
「いいよ」

 狡噛は一度アクセルを最後まで踏み込んで後続車を引き離すとふたりはスイッチを試みた。
 ハンドルを握る狡噛の背後から槙島が近寄る。そして運転席に座るタイミングを合わせて、狡噛のアクセルを踏んでいた足と槙島の足を入れ替えた。
 ハンドルを握って走行を制御。車体は左右に揺さぶられ、ふたりに緊張が走る。僅か数秒のことながら心拍数がグンと跳ね上がった。
 派手なスピンは免れた。ふたりが同時に息を吐く。
 車は追跡車との距離を十分に維持していた。ホッとするのも束の間、悠長な時間は少しもない。
 今度は追跡車が急スピードで追い掛けてくる。走行音が激しさを増し、槙島の声も自然と大きくなった。

「好きに運転していいのか?」
「俺の邪魔だけはするな!」
「了解」

 車体の揺れが収まると同時に、狡噛は後部座席に手を伸ばした。念の為に普段から車載していた予備のアサルトライフルを手に取った。すぐさま装填を確かめる。問題はなさそうだが、ライフルは座席の下に隠すように載せていたものだ。緊急用なので普段携行するライフルよりも性能は劣る。
 不安は残るが心配している暇はない。分かっている。狡噛は冷静になろうと、ふぅと長く息を吐き出した。
 ふたりが運転を入れ替わったことは向こうにも筒抜けだった。当然だ。怒号が無い代わりに派手な土埃を舞わせながら猛スピードで近づいてくる。
 途中、大きめの石にタイヤが乗りかかって車体が大きく跳ねた。ガタン、と派手にダイブしてもこの大型車ならば耐えられる。

「ヘマすんなよ、槙島」
「無茶を言うなら普段から運転させておくことだね」
「ふん、誰がさせるか」

 後方助手席の男の手中で使い古されたライフルがフロントガラス越しに狙いを定めていた。狡噛たちが乗る車は旧い日本車なので運転席は右側にあるが、相手は左側に運転席がある。これも運だ。
 狡噛も応戦するように窓を開け、上半身を外に露出させるとその縁に後ろ向きに腰掛けた。そうすると狡噛の直線上に銃を持つ敵がいることになる。
 狡噛は右肩を使って銃身を構える。無駄な殺しを避ける為の狙いはただ一つ。相手の車を操縦不能にすることだ。それしか今は最適な方法はない。
 残党ゲリラが行動を起こす動機のほとんどが復讐の連鎖によるものだ。断ち切るには何が必要か、狡噛は少しだけ理解できる。
 両手でハンドルを握って操縦する槙島は射撃の邪魔にならないように努めながら走行速度を後続と同程度に合わせた。今、槙島に出来ることはこの場をやり過ごす為のサポートに徹すること。それしかなかった。
 狡噛の猟犬の顔を久しぶりに間近に感じ、槙島はとても高揚していたが、山道の運転がせっかくのその楽しみを奪おうとする。
 狡噛が狙撃に集中するように槙島も運転に集中しなければ共倒れも否定できない。山道はそれだけ予測不能なことが起きるのだ。ハンドルを握る手に汗が滲む。
 こんな所で共倒れてしまったら、今まで楽しみに残しておいた最期の勝負が出来なくなってしまう。それだけは避けたい。
 残党ゲリラの無粋な襲撃は止めさせたい狡噛の意志を槙島も違った側面から尊重していることは確かだった。

「早く片付けろ、狡噛」
「分かってる!」

 狡噛の狙いは前方車輪を撃って走行不能にすること。追跡不可能になれば今はそれで十分だ。そう思って狡噛は揺れる車体に合わせながら照準を定めている。
 しかし、残党ゲリラの狙いは真っ直ぐ車内の人間に向けられていた。外にその身を晒している狡噛ではなく――

「伏せろ!」

 狡噛が引き金を絞るのと同時に叫んだ。そして、残党ゲリラがライフルを連射したのも殆ど同時だった。
 ダダダっと銃声が響く。狡噛たちを乗せる車の後部ガラスに穴が開いて、車内を横一文字に銃弾が飛んでいった。

「く……っ」

 槙島の顔の僅か数センチ横を銃弾の熱が掠めていった。フロントガラスに穴が開き撃ち込まれた事実がそこに残る。
 狡噛の声が一秒でも遅かったら槙島は被弾していたかもしれない。槙島は冷や汗を浮かばせた。狡噛の声に瞬時に反応した槙島は咄嗟に上半身を屈ませ、前方のボンネットに片目の視線を合わせて運転を続けたのだ。

「ついでに僕を殺させるつもりだったな?」
「はは、そうすりゃ良かったか」

 車が順調に走行していることで槙島の無事を悟った狡噛が冗談を言ってのける。彼はまだ助手席側の窓枠に座ったまま、背後で走行不能に陥ったゲリラの車の行方を呑気に見届けている。

「残念だったな、狡噛」

 残党ゲリラの襲撃を交わすことができて油断している狡噛に新たな牙が向く。そう、運転している槙島だった。
 槙島の手が狡噛が座っているその扉のドアを開けたのだ、走行中に。ぐらり、狡噛の体勢が大きく揺れる。

「アッ?お前……ッ、」
「もうすぐ崖だよ」

 槙島が追い討ちをかけるようにニッコリと笑顔を浮かべてこれから起こる出来事を仄かした。
 狡噛はハッとする。確かに少し走ると右にカーブする道があり、左側は崖になっていた。
 このスピードを維持したままそのカーブを抜けるとどうなるかは想像に難く無い。遠心力が働いて外側に身体が持っていかれる。当然殆ど外にいるも等しい狡噛は重力に引っ張られるように落ちてしまうと言う訳だ。

「このクソ野郎!殺す気か!?」
「そうだとも」

 車の天板の側面には荷物を積載する時に使用する落下防止のフックを引っ掛けるためのレールが取り付けられている。そこに捕まることが出来れば最悪の事態は防げるかもしれない。
 狡噛が必死に手を伸ばすが、車体が揺れて叶わない。今の狡噛は窓枠に両足を引っ掛けて逆さにぶら下がり、腹筋を鍛えるトレーニングをするかのような様相になっている。
 槙島は崖に差し掛かると分かっているのにスピードを上げ続けるばかりだ。

「俺がこの手で殺してやるから今すぐ車を停めろ!」
「嫌だ」
「おい、槙島!ふざけるな!おい!」

 槙島が怒る理由はただ一つ。槙島の死を狡噛ではない第三者に委ねようとしたことに因る。見るからに不機嫌そうに目を細めて狡噛を一瞥する槙島の怒りに遅れて理解した狡噛だったが、崖はもうすぐ側まで迫っていた。


――俺だってお前を置いて先に死ねるか!


「停めろ!今すぐ俺が殺してやる!」

 狡噛が叫んだ。クソ! 槙島に対する怒りを思い出した狡噛が腕を天高く向け、中指を立てて槙島を煽った。

「いいだろう」

 煽りに乗る槙島は、崖に差し掛かる手前で急ブレーキを掛けた。車体は半円を描くようにして急停止。タイヤのすぐ近くにいた狡噛は全身に土埃を浴びる羽目になった。
 先に降りて先手を取ろうと槙島が狡噛に近寄る。槙島の殴打と狡噛の蹴打が交錯し、狂気に充てられた獣たちが不敵に笑い合う。
 繰り返すふたりの決闘はあの日の決着に導く為の道標だったのかもしれない。この山道がどこまでも続くように、ふたりの関係は互いの手によって死すまで続くものだと彼らはそう信じている。