追憶の青藍
「ねぇ、レン?」
そう言ってトキヤが笑う。
「なんだい? 随分とご機嫌だね」
背中から伝わる感情は以心伝心。
ソファで久しぶりの休息を取っていたレンが不思議そうに近づくと、楽しげな表情を浮かべるトキヤがもう一度笑って振り向いた。
本当に機嫌が良い。
そっと手元を覗いてみると、何かあるように見えた。彼の好きな本でも出てきたのだろうか。
「ふふ、見てください、これ。クロゼットの掃除をしていたのですが…学生時代のアルバム。懐かしいなと思いまして」
トキヤが眺めていたもの、それは学生時代、新人アイドル時代に撮り溜めた写真がぎゅうっと詰まったアルバムだった。
アルバムを作ろうと言い出したのは、我らの作曲家・七海春歌の発言がきっかけだったのだが、時を経て改めてこうして見てみると、作って良かったなぁと思えるくらいには歳月を過ごしたらしい。
駆け出しの子どもだったアイドルも今では立派に育ち、ST☆RISHのメンバーそれぞれが自分の道を見つけ、独り立ちしていった。勿論、レンもトキヤもその内の一人だ。
「へぇ、こいつは懐かしい」
トキヤの背後から覗き込んだレンもつられて笑う。
二つの視線が向けられている先は、沢山の写真やメッセージたち。記憶を呼び起こすには充分過ぎるほどの思い出たちがそこにはあった。
今と比べれば随分と幼い容姿がちらほらと顔を覗かせている。幼いと言うよりは、少年らしさが垣間見えるといった感じだろうか。
「あの頃はハチャメチャだったからなぁ。何せボスがボスだったからね。…何年前になる? もう4年…いや、5年くらいかな?」
「ええ、それくらいでしょうね…本当に懐かしくてついつい呆けてしまいました」
そっとレンの胸に寄りかかるように背中を預け、トキヤが小さく苦笑を漏らした。
クロゼットの周囲が彼らしくなく散らかったままということは、それだけ思い出深いと言うこと。
懐かしい思い出がたくさん詰まったアルバムを、今度は二人で眺めていく。
無邪気に笑い合う写真、初ライブで涙した集合写真、どれもまるで昨日のことのように脳裏に浮かび上がる。
楽しいも嬉しいも哀しいも、愛おしいも、全ての感情を共に学んだ五年間。レンとトキヤだけでなく、ST☆RISH全員で学び、ライバルとして刺激し合い、そして二人が秘密裏に育てていった愛情は今もなお大きく培われている。
そうした歳月がぎゅっと詰まったアルバムからは、色取り取りの感情が溢れ出して止まらない。
うっすらと涙さえ浮かんでくるほど、大切な時間がそこには眠っていた。
「これなんか特に懐かしいね。この頃はお友達ってよりは単なるクラスメイト扱いだったもんなぁ、“イッチー“は」
「し、仕方ないでしょう…! その頃はまだ――」
ちゅっとトキヤの唇を塞ぎ、レンがふわりと微笑む。
「分かってる」
瞳がそれ以上告げるなと言っていた。
トキヤの言う”その頃”とは、HAYATOというキャラクターで芸能活動をしていた頃を示す。
その当時はHAYATO=一ノ瀬トキヤであることを隠すために、壁を作って周囲と距離を置いていた時期だ。
勿論、今となっては恋人同士となったレンにも、トキヤはずっと嘘を吐いてきた。己を守る為に。
けれど――。
HAYATOであることをレンに明かした日だったと思う。
自分のために(勿論契約している事務所のため、ファンのためでもあったけれど)、何かを守るための嘘だったのなら、例え時間がかかってもいつかきっと周りは理解してくれる。
いつだったかレンがそう言ったことを、今でもトキヤははっきりと覚えている。
本当に、レンは優しい。
自分に向けられる愛情が心地良くて、抱き締めてくるその腕の中が今ではとても落ち着く居場所となった。
振り向く形でトキヤからもう一度口吻を交わしてから、思い出の一ページを捲っていく。すると次のページに残されていた写真は、今ではもう二度とお目にかかることのないツーショット写真だった。
「――ッ!」
「こいつは懐かしい! ははっ、こりゃあ傑作だ!」
「そんな言い方しないでください、まったく…! 貴方は事情を知っていたからいいでしょうけど、私は気付いているとは思いもしなかったんですからね…!」
照れ臭いような嬉しいような、懐かしい記憶が静かに二人を繋ぐ。
そのツーショット写真の被写体は、HAYATOとレンの二人だった。
ニコニコ笑顔が眩しいアイドルスマイルと、出会えたことを嬉しそうに笑うレンが並んだ、最初で最後の写真。
今となってはこの写真も貴重な一枚だ。トキヤがこのHAYATOを再び演じない限り、二度と起き得ないもの。
それも思い出の醍醐味と言うべきだろうか。
「………………、」
ふと、レンの腕が強まる。
きつい抱擁は彼の中の不安の表れであることを悟ったトキヤは(それだけ長い付き合いなのだ)、そっと振り向いてレンの頬を優しく撫でた。
「レン…? どうしました?」
「……なぁトキヤ。…………HAYATOを辞めたこと、後悔してる?」
「え……」
「あのままHAYATOを続けていた方が良かった、って思うかい?」
「………………、」
平穏だった空間に、突如流れ始めた沈黙が痛い。
痛い、痛い。いや――寂しい。
懐かしさに囚われることは何も悪いことではない。
ただ、今を見失ってしまいそうな、そんな闇が手招きしているように感じてならなかった。そう、それは恐怖に近い。
思い出もまた裏を返せば、過去という名で現実を縛り付ける凶器にもなるような気がして、レンは怖くなった。
「…トキヤ……、」
闇が、静かに忍び寄る。
この幸せがいつの日か終わりを告げるのではないかと。
「―――レンはいつまで経っても馬鹿なんですから、本当に。私はこの道を…、レンと共に歩むこの道を選んで正解だった思っています。本当に心から…今、私は幸せだと…彼にも笑って告げられますよ?」
ふわり、微笑む彼の優しさは、レンの寂しさをも包み込む温かな愛情へすり替わる。
嗚呼、本当に好きになれて良かった。
この手を掴んで正解だったと改めて噛み締める。この幸せを。この、思い出たちを確りと心に刻み込み、二人は歩み続ける。
互いの幸せのため。
そして、二人の幸せのため。
「レン、心配なんかする必要ありませんからね」
「……心配? 心配なんかしてないさ」
「嘘を吐きなさい、大丈夫ですよ。私はレンを選んだことを一度だって後悔なんかしていませんから…寧ろ感謝しているんですよ? レンには本当に」
今度はトキヤがレンの唇に口付ける。それは契りのキスのような。
「…本当に、トキヤには参るな…」
「レンはもう少し自覚しなさい。私に愛されているという自覚を」
「…ッ、」
「わかりました?」
HAYATOとの思い出を筆頭に、二人が歩んできた日々はインディゴの淡雪のように幸せとなって降り積もり、そうしてアルバムの新しいページに刻まれていく。
「…ああ、本当に…愛してるよ、トキヤ」
そうして新たなページに綴られた幸せを写した思い出は、きっと遠い先の未来まで紡がれていくことだろう。