寝台の花園
「…あの」
「あのさ」
それは突然だった。だがすぐにまた沈黙に戻る。時計の針音がうるさく感じる程には静かで、心が塞いていた。
すぐ側に居るのに遠く感じるのは喧嘩をしたからだった。それは些細な事が切っ掛けではあったが、どちらも譲ることが出来ず、時刻はずるずると夜にまで進んでしまっていた。
「何?」
「何ですか?」
一つのベッドに横たわることは、例え喧嘩中だとしても変わらない。二人の居場所は、いつだってこのベッドの上。心に少しの距離を感じようとも、身体の距離までは離さない。出来れば仕事以外では離したくない。それが二人の本音だった。
背中合わせで横たわって居るので、お互いの表情は不明だ。普段なら伝わる心音も今日は遠くて聞こえない。温もりも伝わらない。
それでも手を伸ばせば触れられる距離に存在を置くことには意味がある。共依存ではないが、誰よりも頼りにしている。その眩しいほどの存在感に、出会った頃からずっと焦がれている。太陽という光に導かれてここまでやってきた。
「レンの方からどうぞ」
「イッチーから話してよ」
もやもやした気持ちのまま夢籠へ落ちるのは嫌だ。夢と現が正反対だったらもっと嫌だ。
譲歩するのはいつも同じタイミングで、今も振り返ろうとしたトキヤと、抱きしめようとしたレンがようやく触れ合ったところだ。触れた所から温もりが冷えた心を駆け巡っていく。
「…先程は…、すみませんでした。言いすぎました」
抱きしめる片腕の中に自ら入り込み、その中心に身体を預けた。もう一方の手はトキヤのお腹の前で手を繋ぎ、開いてしまった距離の回復を図る。
そうしてレンのパーソナルスペースに身を落ち着かせたトキヤは、もう一度だけ身動ぎし、少し顔を俯かせたまま言葉を続けていく。その言葉をレンはただ耳を傾けた。
「あなたとの生活リズムが合わないことは承知の上でした。ソロ(仕事)の上がりもバラバラで、折角決めた家事の当番も今では殆どレンに任せっきりになってしまって……。それなのにあなたは笑ってやってのけてしまう。頼りない私を許してくれる。そして私は、そういうレンに甘えている。レンには頼って欲しかった。なのに、出来ない自分にもどかしさを感じて……あなたに八つ当たりをして……」
トキヤは、レンの瞳を見ることが出来なかった。青い瞳は感情をも映す。その変化が怖かった。
俯くトキヤの頬に手が伸びる。くい、と持ち上げられ必然的に顔を上向かせられた。相変わらず視線は横に向け、瞳を見られずにいるトキヤに、レンは微笑いながらその矛先が自分に向けられるまで待つ算段らしい。ちりちり、と視線を感じ、レンの強い想いに焦げてしまいそうだ。
「……イッチーの言いたいことはわかったよ。オレもお前を甘やかしたいってつい思っちゃっていたけど、オレ達は男同士だ。どっちかが受け身でいるような関係は、そりゃあ嫌だよね。イッチーが不満を持つのも頷ける。オレも反省しなくちゃね」
「レン……」
トキヤが言わんとすることを、きちんと分かってくれていたレンの言葉に、トキヤはぱっと視線を上げてその表情を窺う。その言葉に偽りはないか、無理をさせていないか、そういう心情を探る。けれど、覗いた瞳は澄んだ空色のまま、トキヤを柔らかな視線で包んでいく。
「それにお前だってそろそろオレの作る料理に飽きた頃だろう?」
「そんな……!飽きるなんて…ありません。ただ、あなたに負担ばかり掛けている自分が嫌なだけで、飽きたとか、そういう意味合いは含んでいません」
ホッとしたような顔から絶望したような顔へと、トキヤの表情が目まぐるしく変わる。以前よりは遙かに笑うことが増えたトキヤのそう言った一面を、可愛いと思ってしまうレンの小さな悪戯心から出た言葉だった。
「……なんて、ね。冗談だよ」
わしわしと頭をくしゃ撫でられ、レンがトキヤの蟠りも想いも全てを受け入れて優しく微笑う。
「明日からまた当番を活かそう。オレもしてあげたくなる気持ちはお前の為を思って抑えるからさ」
「そうして頂けると嬉しいです。……私は、あなたと対等でありたい。レンと同じ位置で未来を歩みたい。ただ、それだけなんです…」
言葉は胸に掻き消されていく。トキヤの方から抱き着いてきて、最後の方の言葉は微かに届いたトキヤの心からの想い。レンはその広い心で受け止め、その腕で強く抱きしめ、最愛の想いをただ黙って肯定する。
レンは藍色の髪に口付けを一つこっそり落とした。それに気付いたトキヤが胸から顔を離し見上げてくる。愛情と優しさの孕んだ柔らかい微笑みを携えて。
「レン、私はいつも思うんです」
「何をだい?」
「あなたを好きになれて良かったと。レンには感謝の気持ちで一杯なんです、本当に……(愛しています)」
言葉に出さずとも伝わる想いがこれ程強烈で温かで、それでいて壊れそうに脆く、それなのに健気に真っ直ぐ向けられる想いは、きっといつまでも枯れることはない。
「オレもだよ(一番の愛をお前に)」
寝台の上に広がる花園が、静かに二人を包んでいく。沢山の想い花に囲まれて、二人がその魅力に誘惑されて過ごす夜も偶には必要なのかもしれない。