Fluffy candy
ふと廊下を歩いていると、前方から見慣れた姿が視界に入り込んできた。
「あ〜っ!!」
時々甘い香りがするミルクティー色のふわふわの髪、抱きつきたくなる大きな背中。
あの人はボクの大好きな砂っちゃん。四ノ宮砂月くん。
「げ…」
「砂っちゃあ〜んっ!!」
彼が大好きで大好きで仕方がない一ノ瀬ハヤトは、大きな背中を目掛けて子どものようにパタパタと音を立てて駆けて行く。その反応はまるで雷の如く。
どちらかと言えばドタバタと廊下を蹴るその足音が聞こえれば、例え砂月でなくとも誰であるかは気付くだろうけれど。
良い意味か悪い意味か、砂月が与えたぴよちゃんスリッパはハヤトのお気に入りの一つとなった。そして目印にもなった。
何故ならハヤトの足音は、誰よりもうるさく何よりも目立つようになったからだ。
時間のある時に寮内をぷらぷらと散歩をすることがハヤトの日課なのだが、広い学園内は一日で回りきるには難しい。だからハヤトは少しずつ場所を絞って探検を楽しんでいる。
彼曰く、お散歩をしていると新たなメロディがお空に浮かんでいったり、フレーズがシャボン玉みたいにふよふよ泳いだりと、そう言った新たな発見と出会えるらしい。
そして今、その途中で砂月と出逢ったという訳だ。ハヤトにしてみれば最高の出会いだった。
「いつ聞いてもうるせぇスリッパだな」
そう言って砂月が振り返る。意地悪な笑みはいつ見ても格好良い。
「えへへへへ!だって可愛いんだもん!それに砂っちゃんがくれたものだしねっ☆ ボク、ピヨちゃん大〜好きっ!」
「そりゃあ良かったな(那月と同じことを言いやがる)」
「さてさて〜恒例の質問ターイムだにゃあ☆ 砂っちゃんは元気だったかにゃあ? もっちろんボクは元気だよぉ!」
「…………………………、」
空中マイクを砂月に向け、レポーター気取りも毎度のこと。数分は黙りを決め込むのだが、最終的に根負けして構ってしまう砂月の優しさが仇となっている(それも砂月は理解している)。
ポリポリと頭を掻き、心底呆れた顔をして目の前の阿呆面をジッと見つめる黄土色の瞳は、まるでお月様のようでハヤトは大好きだった。月面にニコニコ笑顔を映し、元気な返事を待っているのだけれど――。
「てめぇが元気ねぇ日なんかあんのか? つーか、元気かどうかなんて見りゃ分かんだろ」
「…………………………、」
砂月のハヤトに対する冷ややかな態度は、ハヤトが待っていたものとは百八十度違う物だった。勿論ハヤトだって『元気だよ!』なんて言葉が返ってくるとは思っていないけれど、もう少し違う優しいものを期待していたのは事実だ。
案の定、冷たい態度の砂月にむすっと拗ねるのもいつもの事、これもお決まりの光景だった。
それでもめげない男――ハヤトはぎゅっと砂月の腕に抱きつくと、恨めしい視線を送る。構えと、幼稚な駄々をこねる。
構え、構え、構って、と。瞳がそう物語っていた。
バチバチとしたいがみ合いが暫し続く。けれど結局先に折れるのは砂月だ。態度や口は悪くとも面倒見までは悪くないところが、砂月の良いところと言えるのだろうか。
「…ったく、めんどくせぇな。…ついて来いよ」
「! やったにゃあ〜!」
パッと明るくなるハヤトの表情。まるでスイッチでも入ったかのようにニコニコと満面の笑みを浮かべる姿には癒しを感じる(その時点で砂月の負けも同然である)。
けれど、その笑顔に絆されてはならないと、付け足すように「黙っていればな」と、砂月は釘を刺しておくことを忘れない。己への自制も込めて。
「はーいっ! ――あ、し、静かにするにゃあ…」
元気良く返事をしてからその声量に自分で気付いたらしい。
ハヤトは慌てて口元を両手で押さえ込むと、モゴモゴと口ごもりながら『うるさくしてないにゃあ』と言う意味合いの笑みを浮かべる。
そんな姿に苦笑しつつ、砂月はハヤトのはねっ毛をぐしゃぐしゃと撫でてから、今度は二人で来た道を戻っていった。
「砂っちゃんの〜お部屋にゃあ〜♪」
スキップで歩み続けてきたハヤトが唄いながら(始めは鼻唄だった)訪れた場所は砂月の部屋だった。
いざ入ってみての感想は一言。綺麗過ぎる。
と言うよりかは圧倒的に物が少なすぎるのだ。大きい体格、広い背中に比例しているのか、ハヤトの部屋と同じ間取りの筈なのに、随分と広く感じたのが印象的だった。
とは言え、砂月の部屋に訪れたのは初めてのことではない。今日で二回目のことだ。ハヤトが自室へ(無理矢理)連れてくることは良くある話なのだが、砂月の部屋に訪れることはあまり無い(許してくれないだけである)。
「…あちこち触んじゃねーぞ」
「はいはいにゃあっ!」
片腕と片足を挙げての返事。本当に分かっているのか甚だ疑う余地しかない。
そんなハヤトを視界に捕らえながら背後を歩いてきた砂月が、用心深く部屋の鍵を後ろ手で閉める。邪魔をされるのはごめんだ。
「で? 一体俺に何の用だったんだ?」
「んにゃあ?遊びに来たんだよ〜!砂っちゃんのお部屋探検☆ってところかにゃあ?」
「………お前、話聞いてたか?」
「(はっ…!)…………聞いてたよ!見てるだけだにゃあ!」
と、お口は良い子なのだけれど。
それに反してハヤトの手には砂月が読んでいたらしい本があった。挟まれていた筈の栞はテーブルに寝そべったまま、そして本はゆっくりと眠りに就く。
砂月の口からは溜息しか出てこなかった。
しかし、ハヤトがあれこれ弄るであろうということは、疾うに予測済みなので大した問題ではない。だって、悪戯を仕掛ける充分な言い分が出来たということだから。
「……触るなって言ったよな?」
ジリジリとにじり寄って来る砂月に、後ろへと逃げるハヤト。
見えない冷や汗がだらだらと肌を滑る。ま、ず、い!
「…あっそうだ!砂っちゃん砂っちゃん!」
ふと、何かを思いついたように手のひらをぽんと叩いた。
良い逃げ口が見つかったと言うことか、単なる気紛れかはさておき、砂月はハヤトの目の前にまで迫ったところでもう一度溜息を吐くと、ジッと見遣る。瞳でハヤトを捕まえる。
「……………………今度は何だ」
「砂っちゃんって甘いもの平気?」
「…時と場合による」
「それどういうこと…ぷぷっ――ッにゃあっ、痛いにゃあ!」
返ってきた言葉がどうやら笑いのツボに入ったらしい。
何が面白かったのか不思議でならないのだけれど、ハヤトの感情は砂月に上手く伝わらないまま、可笑しそうに笑う彼の額に盛大なデコピンが飛んできた。
砂月にとってその返答は、『ハヤトと一緒に居る時は平気だ』と言う意味を表していたのだが、お子様仕様の頭の持ち主には(と言っても早乙女学園に入学出来るくらいの知識があることは理解済みだ、一応。)直球で勝負しない限り伝わらないと言うことか。
本日何度目かの溜息を吐きかけると、砂月は痛がるハヤトを見下ろして静かに告げた。
「フン、触った罰だと思え」
とは言え、にゃあにゃあ騒ぐほど痛む訳でもなく、勿論砂月も相当な加減をした上でのデコピンだった。
痛みは一瞬。どちらかと言えば驚きが勝ったと言った方が正しい。それも砂月の優しさなのだがハヤトにきちんと伝わっているのかはさておいて、本当に砂月はハヤト(と那月)には甘い。
「あ〜あ、お前が来た時にって那月がくれたココアを淹れてやろうと思ってたけど……止めた」
「ッ!えええ〜!!何でにゃあ!?どうしてにゃあ!?やだやだ!飲みたい飲みたい!飲みたいにゃあ!!」
ハヤトが大好きなココア。『アイドルを目指す者がそんな甘い物など〜(以下省略)』と、双子の兄・トキヤにはいつも叱られて没収されるのだけれど、砂月が偶に淹れてくれる甘い甘いココアがハヤトは大好きなのだ。
砂っちゃん特製の飛び切り甘いハヤト専用ココアも、勿論それを用意してくれる砂っちゃんも大好き。
そんな大好物を目の前にして、お預けを喰らうなんて嫌だった。全力で否定する、と言うよりは懇願に近い格好で、ぎゅっぎゅっと砂月に飛びついて嫌だと首を振る。
首にしがみつくように抱きつかれても、体格差があるお陰で砂月が一瞬でも狼狽えることはない。寧ろ、首に回されたハヤトの手首を掴んできちんと支えている程だ。
そんな砂月へハヤトが寄せる信頼は絶大だった。
唐突に抱き着いても砂月なら受け止めてくれる。言わずとも『危ないだろ』とは怒られるけれど、それでも砂月なら絶対に受け止めてくれる。
二人を繋げる信頼はいつから生まれたのだろう。それに含まれる愛情も然り、いつからこんなに大きな愛情が芽生えたのかなど疾うに忘れた。
毎日毎日飽きずに(仕方なく)構っていたら自然と芽生えたということなのだろう、砂月はそう思うようにしている(母性本能に近いとは言わない)。
だからか、二人の間から伝わる温かくて、心がほっこりするような空気はそういう感情の結果なのだろう。それがきっと二人の幸せを紡いでいるのだ、きっと。
「砂っちゃん飲みたい!ボク砂っちゃんが淹れてくれたココアが飲みたい!飲みたいにゃあ!」
ハヤトが騒ぎながらぎゅうぎゅうと抱き着いて甘える。
それが、後の引き金になっているとも思わずに。
「……さっき、嘘を吐いた」
「へ?」
何を思いついたのか、砂月がハヤトを抱え直す。そう、お姫様抱っこだ。
突然の行動に照れを隠せないでいる内に連れて行かれた先は一つ。大きなふかふかベッドの上だった。
「え? へ? 砂っちゃん? ココアは?」
「ココアは無しだ。触るなって言ったのに触ったのはお前だろ?」
「……だ、だって!だって気になったんだもん!砂っちゃんがどんなお本を読むのかなぁって気になったんだもん!(絵本かな?って思ったこと言っちゃったらもっと怒られるにゃあ…!)」
「で?」
「うう…ごめんなさいにゃあ…」
「ダメだ、んな顔したって許さねぇもんは許さねぇ」
言いながらふかふかの上にそっと寝かせられる。
覆い被さって来るのは大きな砂月と意地悪な笑顔。したり顔がとてもコワイ。
「仕方ねぇ。ハヤト、お前に一回だけチャンスをやる」
「ほんとっ!?」
「ああ」
相づちをした砂月がハヤトを抱き締めたままぐるんと一回転した。
即ち、砂月がベッドに横たわり、そしてハヤトがその彼の上に寝そべっているという奇妙な光景の出来上がりだ。いや、奇妙というよりかは上手く事を運んだと言うべきかもしれないが。
「…………砂っちゃん…?」
少しの不安色を顔に映すハヤトが、肩を掴んでバランスを保ちながら問う。
その間も砂月の手はハヤトの細い腰を掴んでいるため、擽ったくて仕方ないのだがジタバタ出来る雰囲気でもなさそうで。況してや逃げられるような状況でもない訳で。
「なに、簡単なことだ。ココアを淹れて欲しかったらキスしろ。…もちろん、俺が満足するようなキスだぜ?」
そう言って砂月は長い指で自らの唇を指す。ここに、と笑みを浮かべて。
「……う………………」
キスをすれば大好きなココアが飲める。
前にこっそり飲もうと試みてトキヤに没収されて以来、それから一度も口にしていないから随分と恋しい味だ。
だけど、だ。自分からキスをするなんて恥ずかしい。ほっぺや額にならすることはあっても、唇になんて――、と顔に書いてあるハヤトの焦った表情も可愛くて仕方がない。
このような状況を作り上げ、更にキスを強請る砂月も砂月だが、逃げられない状況はどうやっても変わらない。寧ろキスをしなければこの腕から解放されることもないだろう。
ならば、答えは一つしかない。
「……キス…したら、ココア淹れてくれる? 約束? …絶対?」
不安と照れの混じった顔が愛らしく砂月を見つめてくる。
困った顔から不安だけを取り除くようにハヤトの頭を撫でながら砂月が返事の代わりに一度頷くと、勇気が出てきたのかハヤトも一度だけコクンと頷いた。
それがココアと遠ざかることに、ハヤトはきっと気付いていない。
「………ん…っ」
そっと顔を近づけていき、唇を重ね合わせた。
ぎゅっと目を瞑って恥ずかしさに耐えながら交わすキスは、きっとココアよりも甘いのだろう。ふにふにしたハヤトの柔らかい唇からは緊張が伝わってくる。ドキドキと、まるで以心伝心のようにそれは砂月にも伝染してくる。
――本当に、可愛い奴だ。
だが、まだ砂月が言っていた『満足するキス』ではない。フレンチではなく、求められているのはディープな、大人のキス。
いつも先に舌を入れてくるのは砂月だったために、躊躇いは少しだけ募る。嫌なわけではない。ただ、気恥ずかしさが残るだけで。
困ったように唇を重ね合わせたままハヤトの動きが鈍った。どうしよう。
「…どうした?もう終わりか?」
「ち、違うにゃあ…もう…砂っちゃ…喋らないでよぉ…」
触れ合ったままの唇から伝う振動も、今では単なる興奮材料の一つに過ぎない。
ドキドキと胸を奏でるそれが切欠となり、ハヤトはもう一度目を瞑ることで勇気を振り絞り、一気にたたみかけることにした。
砂月の求めるそれをするために。
「…んぅっ、……ふっ…」
待ち侘びた舌が、漸く砂月の元へと潜り込んで来た。
恐る恐る拙く動く舌先の動きすら愛おしく、砂月は少しだけ唇を開くことで深くまで招き入れていく。
咥内に迷い込んだハヤトを熱に浮かされた砂月のそれがぬるりと絡め取る。まるで捕まえたと言っているようにさえ感じる舌の動きは、捕食者の真似事に近い。
「んんっ……」
びくりとハヤトの腰が浮いた。それと同時に漏れる吐息が艶めかしく部屋に響く。
驚きと、重なり合った舌が擦り合わさる度に生まれる微弱な刺激が心地良く、混ざり合う唾液はそうして甘さを増していく。
くちゅり、音も激しさが増し、いやらしいキスが続いていく。いつしか主導権も砂月に握られており、最早ハヤトは彼の上で踊らされているようなものだ。
いつまでキスを続ければいいのだろう。
始めの内はココアのため、とそんな思考でいっぱいだったハヤトも次第にキスの熱に翻弄され、甘くなる唾液を飲み込むことと息を繋ぐことで必死になっていく。
「…ん〜…っ、」
上気した頬が紅色に染まり、キスに溺れたハヤトがきゅっと砂月の服を握り直す。
苦しいとまではいかずとも、大好きな砂月とのキスが気持ち良すぎて思考や身体中がとろとろに溶けてしまいそうな気さえして、甘いキスにふるふると身悶える。
それが砂月の狙いだったとは露知らず、ハヤトはキスに夢中になっていった。
そして―――。
「ふぁ…はぁ……」
すっかりキスの快楽に溺れ、くったりと砂月の腕に抱かれながらハヤトが荒い呼吸を繰り返していた。
ハヤトの脱ぎかけられた服が生々しい状況を醸し出している。まさに、キスが始まりだと言っているような光景。ココアという甘い罠に釣られたハヤトも疾うに熱に浮かされ、キスの続きを待っているようにさえ見て取れた。
「…キス、上手くなったな」
「んにゃあ…? だって…砂っちゃんといっぱいしたから…」
「はは、それもそうだな」
「じゃあ…ココア!」
「ん?ああ、ココアな。沢山可愛がった後に飲ませてやるよ」
ふと思い出したココアという存在。待ち侘びたココアがキッチンに方できっとハヤトを待っていると言うのに、砂月の腕は離そうとしない。
それどころか、再び体勢を入れ替えられ、ハヤトの逃げ場はもうどこにもない。
「へ? え?」
ねっとりとした瞳がハヤトを捕らえている。それは欲情した獣の如く――。
「ココアは後でな……」
「……砂っちゃんの嘘吐き――んむぅ…」
喚く唇は唇で塞ぎ、キスの続きをしようと砂月の手はもう止まらない。止めるつもりなど始めからなかったのかもしれないけれど。
ニヤリと勝ち誇った顔が狡いくらいに格好良い。
そうしてまたハヤトは砂月に騙されて(悪意はない)甘い甘いベッドでのダンスに酔い痴れることとなるのだった。
そしてココアは、と言うと――。
砂月とハヤトのラブ行為はそれから夜にまで渡り(最終的には快楽により意識が飛んでしまったハヤトを寝かしていたら夜になったと言うだけなのだけれど)、心配性の兄・トキヤには砂月の部屋に泊まることだけを告げ、そして今に至る。
起きてから約束だったココアを淹れてやろうと用意だけはばっちり済ませていた砂月も、ハヤトの寝顔を見ていたらうとうととしてきてしまった。そう言えば昨夜は遅くまで作曲をしていたことを思い出す。
「…コイツは起きそうもねぇし…(俺も…)」
二人で眠るには少し狭いベッドだけれど、並んで眠る夜もまた一興かもしれない。
砂月はハヤトを抱くように横に並ぶと、そうして暫しの休息を取ることにした。
まさか数時間後、先に目を覚ましたハヤトが今まで一緒に居た中で一番というくらいに拗ねていることになるとは知らず、二人一緒に夢の世界へと旅立ったのでした。