02.ラストステージは君の腕の中で。
「…オレだよ。開けて…?」
授業中、居てはいけないはずの時間にそんな声とノックが寮内に響いていた。
一度、二度、三度。ドアの鳴き声は虚しく響くばかりで、中から呼び掛けが返ってくる事はなかった。
それでもレンは声を掛け続ける。四度、五度、六度。続く無反応が静かな空間をずっしりと重たくさせていく。
もしかしたら部屋には居ないのかもしれない。そんな疑いも脳裏に浮かび上がってきていたけれど、それは直ぐに消え去っていった。
何しろレンには自信があったのだ。勘と言う名の確信が、その胸に。
「…イッチー……、」
ぽつりと名を零し、ドアを背もたれに座り込む。
出来ることなら反応が返ってくるまでドアを叩き続けていたかったが、それは年上の余裕を誇示していたいが為に十度目を回った所で切り上げた。
居るはずなのだ、この奥に。たった一目で良いからその姿を見たかった。あわよくば抱き締めてやりたい。
そんな思いに駆られ、感情が成すままにレンは教室を抜け出していた。気持ちを隠すことなど容易かったはずなのに、口々に噂する人混みの中では、得意の笑顔も活かせることが出来ず、妙な焦りと余裕が交互に訪れて落ち着かなかった。
そうして逃げ出すようにやって来た先は、案の定、蛻の殻。生活音の一つも聞こえない、真昼の寮はいっそ不気味だ。
そっと耳を澄ませて気配を探るが、良しとして選ばれた防音壁がここぞとばかりに邪魔をする。幾ら待てど、音や気配も何一つとして返ってこず、静寂が心にざわめきを残す。
この部屋の主である彼――トキヤとレンは同じクラスだった。
二人の仲は悪くない。寧ろ良すぎるくらいで、傍から見れば親友同士。少なからずレンは恋愛感情以前にそう思っていた。トキヤがどう思っているかは解らないが、決して悪くは思っていないことだろう。
トキヤは稀に見る模範的な優等生で、どちらかと言えばレンとは正反対のタイプ。それなのに、気が付けば二人は自然と歩み寄っていた。波長が合うと言った感じだろうか。
教室では好んで話をするようになったし、オフが重なれば他愛ない世間話を兼ねたティータイムや課題を共にこなす為に互いの部屋を行き来するようにもなっていた。正確にはレンがよく訪れているだけなのだが。二人の仲の良いことには変わりない。
相反する性格の持ち主同士だからこそ、惹かれ合う何かがあったのかもしれない。そう、まるで磁石のように導かれ、互いの魅力から離れられなくなっている。
今もそうだ。何故かトキヤに呼ばれているような気がしてならなかったのだ。あの声でレンと――震える声で。
「居るなら頼むよ…開けてくれ、イッチー…」
学園内は今、一つの話題で持ちきりだった。
各クラスの全授業が自習になったのは、専らその所為だと噂されているが間違いではない。その噂とは、昨夜の生放送番組で起こった放送事故もとい一大ハプニングのことを指している。
今では色々な憶測やデマも混ざり、どれが真実であるか解らなくなってきてしまっているけれど。
ここ最近テレビなどで引っ張りだこのトップアイドル・HAYATO。彼を知らない人の方が少ないだろう。馴染み易く人懐っこい性格で、あっという間にお茶の間の人気者になった。
そんな彼と瓜二つのトキヤ。学園に通う者だけに明かされた双子と言う説明は、嘘のような真実として受け入れられていた。
しかしそれは信じ難かった通り、真っ赤な嘘でしかなかった。
何を隠そう、弟とされてきたトキヤが、HAYATOという作り上げられたキャラクターを演じていただけに過ぎないと言うのだ。
挙げ句もなくHAYATO本人がその事をテレビで暴露してしまった。それが昨夜の生放送番組での出来事だった。
人気番組ともあって視聴率も高い。そしてアイドルを目指す学園と言う事もあってそれを見ていた生徒が多数居たことも重なり、事は想像以上に大きくなっていた。
偽りをあっさりと受け入れる者も居れば、デビューを果たしているのに何故学園に通っているのかと憤慨する者まで、反応は様々だ。
そんな中で生まれる根拠のない話の数々に耐え切れなくなった一人、それがレンだった。
『彼と私は、今此処で決別する――』
カメラを真っ直ぐに見据え、淡々と告げたそれは事実上の引退宣言。
傍から見れば同一人物と扱われがちだった二人だが、トキヤにとってHAYATOは別人そのもの。正反対どころではない。そんな彼と自分を一緒くたにされることが嫌だった。だからHAYATOとは別れる。いや、捨てる。
そう言った意味合いが込められた、決意のようなそれ。テレビと言う公衆の面前で大告白をするだけして、HAYATOは壇上から去って行く。
その消え行く最後まで、“彼”は笑顔を忘れなかった。光る涙はトキヤの背中に隠して貰えたからこそ、今までで一番綺麗な笑顔が咲いたのだ。それはトキヤがHAYATOにした最後の優しさだった。
勿論、番組は丸潰れ。所属していた事務所を始め、契約していた仕事も全て白紙になる事は目に見えていた惨事だ。
けれど、真面目なトキヤがそうまでしてでも成し遂げたかったもう一人の自分との決別。その意志を抱いてしまった瞬間から放送当日まで、きっと一度も揺らぐことはなかったのだろう。
さようならとありがとう。その二つが籠もった宣言をする彼らの表情は、何処か清々しくさえ感じたのはレンだけではないはずだ。いや、二人が一人である事に確信を持っていたレンだからこそ、そう見えたのかもしれないけれど。
そう、あれは二人の大胆な旅立ち。それは凄く華々しかったけれど、裏を返せば一方的なサヨナラでしかない。たった一人――トキヤを除いて、他の誰一人にも別れを言わせなかったのだ。
そんなトキヤの残酷な優しさが、レンには辛かった。
「………、」
ドアの向こうからの反応を待っている間、レンの脳裏に浮かぶのはあのテレビの光景ただひとつ、ノンストップで繰り返されていく。
双子だとトキヤから聞いてからと言うものの、レンはHAYATOの出演番組を欠かさずチェックしていた。それは二人が同一人物であると解っての行動ではなかったが、妙に気になっていたことには違いなかった。疑いが残っていたことも事実。
これがレンの勘の良さであるかどうかは分からないけれど。
「!……イッチー…?」
「………、」
不意に背中が温かく感じて振り返る。やはりレンの勘は間違ってなどいなかったのだ。
本当は、昨夜の件で挨拶回りに駆られているのではないかと少しの不安もあったのだが、それはやはり杞憂に過ぎなかったらしい。
そっと二人を隔てる扉一枚に触れ、この向こうでどんな表情をしていたのかを思案する。一人きりで彼と別れていたのだろう。そして真面目な彼のことだから反省会でもしていたに違いない。
いずれにせよ邪魔をするつもりは更々なかったが、それが当たっているとすればこれ程寂しいものはない。
レンだって彼らを傍らで見守ってきた一人に過ぎないのだ。やはり“彼”が居なくなってしまうのかと思うと寂しさも募る。
「…入れてくれよ、イッチー…――寒いんだ……」
――心が、凍えてる。
飲み込んだ言葉が更に体温を下げていく。
一人置いて行かれたようなやり場のない孤独が押し寄せ、胸を締め付けて止まなかった。
「………、」
無言の応酬を繰り返し、ただ受け入れてくれる時を待つ。
二人が出逢ってから恋に落ちるまでもそう、いつだってレンはトキヤを待ってばかりだった。それはずっと変わらない。きっとこれからもずっと。
キスやそれ以上の行為もそうだ。身体で受け入れることは出来ても、心にまでは踏み入らせない。
仲が良いとは言え、心の奥底ではそんな距離を感じていた。
「……!」
だから、この扉は開かない。
結局二人はいつだって壁を一枚隔てた関係でしかないのだと。これこそ本気の遊びの恋だと。遠回しにそう言われているような気がしていたし、レンもそう思うようにしていた。
それなのにガチャリと、無音だった空間に音が響いたのだ。
声や言葉こそ返ってこなかったものの、心の壁のようなそれが解かれていく。扉の鍵が開かれたのだ。他の誰でもないトキヤから、鍵を。
それは受け入れられたも同じだった。
たったそれだけのことだとしても、レンには十分な歩み寄りだと思えて嬉しくて堪らない。
早くこの腕で抱き締めたい。
そんな気持ちばかりが溢れて急いてしまい、取り戻したはずのレンの落ち着きは疾うに姿を消していた。
「――イッチー…っ!」
バンッ、と壊す勢いで開かれた扉から飛び込んできたライオン。いつもの余裕たっぷりな彼とは思えないほどに崩れた表情、余裕など皆無のレンの姿が其処には在った。
本当はもっと邪険に、授業をまたサボったのか等と非難を浴びせるつもりでいたトキヤも、そんな見慣れないレンを目の当たりにして流石に言葉が詰まってしまった。
いつものように読書をしていたように見せかけたかったけれど身動きひとつすら出来ず、ただレンの両腕を待つ格好で。
「っレン……」
「………このバカ……」
捕らえられた瞳も逸らせずに、近づいてくる腕や身体を払うことも出来ずに、何も言い返せずに。トキヤは、ただ引き寄せられるがままレンに抱き締められていた。これでもかと言うくらいに強く。きつく、ギュッと。
掴んだ手首に当たる袖が少しだけ湿っていたことには気付いたけれど、レンは気付かなかった振りをした。
それよりも今は身体だけでなく頭をも抱き締め、距離を縮めていく。力強いレンの腕の中は苦しいほどなのに、痛いくらいに優しくて。心に空いた穴を埋めていってくれる。そんな気がして温かくなる。二人一緒に。
「…なぁイッチー…笑って…?」
「嫌ですよ…そんな……。それよりも離してください、レン…苦しい…」
「離さない」
「…レンっ……、」
限られた理性を総動員させて平静を装い、直立状態だったトキヤがその広い背中を掴む。けれど、それは逆効果。更にきつく抱き締め返されるだけだ。
離す気など無い。いつになく強気な青の瞳がトキヤを捕らえ、肩にあった腕はいつしか腰の位置まで降りていた。
相変わらず距離は変わらない。それなのに表情が見えるだけでこうも違うモノなのだろうか。安堵の大きさが増えたと言うか、逃げ場が奪われただけと言うか。
今にも泣き出すのではないかと言うくらいに歪んだレンの顔。余裕綽々な普段とは打って変わり、あの彼ですらこんな表情をするのかと思うと、トキヤは新たな一面を知れたようで嬉しくもなり、哀しくもなった。
折角整った綺麗な顔が台無しだ。そんな表情をさせているのは、きっと紛れもなく自分なのだろう。自分を思ってくれている事は嬉しいのに、何故か辛い。
レンのそんな哀しい顔など見たくなかった。
長い前髪で見え隠れしている碧眼が少しだけ潤んでいるような気がして、トキヤはパッと視線を逃がした。見てはいけないような気がして。でも自分だから見せてくれているのだろうと思うと嬉しくて。
矛盾が、心に渦巻いて離れない。
「だったら…、そんな悲しい顔しないでくれよ…イッチー…」
それはあなたの方だ。
とは言い出せず、トキヤは決壊しそうになる涙を、言葉と共に飲み込んだ。
「…それは…レンが抱き締めてくるから……」
それだけ言ってもう一度、今度はトキヤの方から抱き着いて視界を塞いだ。
これ以上その瞳に捕まっていれば、泣きついてしまいそうで。今はただ、堪えることに必死だった。
再び、互いの肩を使って顔を隠す。表情こそ見えなくしてしまったものの、彼の優しさは温もりを通してヒシヒシと伝わってくる。
レンの太陽のような、炎のような温かい優しさが心地良くて堪らない。
それが自分だけに向けられたモノだと分かるからこそ嬉しくて、幸せで、心が温まっていく。もっと好きになっていく。
ある程度の距離は保とうとするトキヤだったけれど、その想いは確実に育っていた。レンの優しさによって大きな愛へと。
「…ねぇ、イッチー?」
「?……」
「…オレはまだ“彼”とのお別れが済んでないんだ…。あんな形で自分だけサヨナラしちゃうなんて、狡いと思わないかい?」
それから暫く無言の抱擁が続いた。男二人、部屋のど真ん中で抱き合い、肩を震わせて。そうして互いの温もりを分かち合えた頃、ぽつりと紡ぎ出し始めたレン。
彼の指が、溢れてもいない涙を拭うようにトキヤの目元をなぞる。あの光景を思い出しながら、悔しがりながら、寂しがりながら。
「レン……」
「オレにもお疲れ様って言わせてよ。イッチーと一緒に頑張ってきた“彼”にもさ」
広い腕の中、それはまるで二人を抱き締めているようにさえ感じてならなかった。いや、きっとレンにとってはそのつもりなのだろうけれど。
レンが紡いでいく言葉はトキヤの心を擽り、奥底へ追いやったHAYATOまでをも愛でられている。そんな錯覚すら起こしてしまいそうで、トキヤは少しだけレンの言葉に怖じ気づいていた。
彼の言葉は的確にトキヤを嬲るのだ。いつの間に観察されていたのだろうと、疑問を抱きたくなるくらいには図星ばかりつかれている。
それもそのはず。レンはいつだって真っ直ぐにトキヤを見ていたのだから。HAYATOとトキヤが同一なのではないかと、疑いを持ったきっかけもそのお陰だった。
それ程までに好かれているのだ、そう自惚れたくなってしまう。
自分を理解しようとしてくれているのだと分かるから、つい甘えてしまいそうになる。その広い腕の中に甘んじて受け入れられている時点で十分頼りにしていると、レンが早くそのことに気付いてくれれば良いのだけれど。
「…っ…、あなたって人は本当に……、」
「だからさ、ほら笑って…?イッチーの笑った顔が好きなんだ」
最愛の温もりを直に感じ、涙はいつの間にか蒸発したようで。鼻の奥がツーンとなることもなければ、レンの心が寒く感じることもなくなっていた。
やはりレンにとって、トキヤの存在は既に切り離せない大きなものにとなっていた。勿論、トキヤも同じだった。
好きなのだ、この人がどうしようもなく。
彼の隣は落ち着いて、くれる温もりや優しさが心地良くて。奏でるメロディや声はもっと好きだ。
二人で温め合った本音は言えないけれど、想いの強さはレンにだって負けない。
だからこそ一人でいたかった。
これは自分が選んだ道の後片付けに過ぎないのだから、自分一人の問題は一人で片付けたかった。
「だとしても嫌ですよ…恥ずかしい…。…それに彼とはもう別れたんです。だから、もう“彼”は居ないんですよ」
「嘘だね…“彼”はちゃんと居るだろ?…イッチーのココにさ」
レンが言う通り、トキヤは一人きりで別れをするつもりでいた。その方が効率が良かったのだ。自分と向き合うことに他人は要らない。
だから、特にレンには知られたくなかった。彼は優しいから、そして彼を好いているからこそ、レンの声を聴いてしまえば意志が揺らいでしまいそうで。それが怖かった。
けれど案の定、やはり思った通り。レンは見据えていた。トキヤの内に居る彼の存在を、的確に指し示す。
「……だから…居ないと言って…」
「いいや、居る。賭けたっていい」
レンの指が当たった先、ラフな部屋着の上――左胸をノックされた。その奥に居る“彼”へと向けて。
そうやって、レンはトキヤの全てを優しく晒け出そうとしていくのだ。抑え込んだ感情を、そうして引きずり出していく。
「……嫌ですよ…( “彼が”泣いてしまう)」
小さく首を振り、拒む。それをレンが更に拒む。
困ったトキヤが唇を噛めば、傷が付くとそっと触れられて止めさせられる。埒があかなくなる前に逃げようと腕を振り払えば、もっと力強い腕が返ってくるだけ。
結局レンの腕の中、トキヤはその中に居座るほかない。二人分の優しさに抱かれて、温められて。胸が、チクリと痛み出す。
ジッと瞳の奥を覗かれて、もうトキヤは首を振る事が出来なくなっていた。
こんなにも優しい彼を拒絶することなんか出来なかった。
「…ん、」
両腕をも封じられて抱き締められている為、笑顔を向ける代わりにレンの目蓋に口付けた。
そうすると、お返しにとレンが唇で頬を愛撫していく。時折、甘噛みするかのようなキスをして、互いを味わう。
肌を滑っていく唇や吐息の擽ったさも気持ち良くて、自然と二人の顔が綻び出す。HAYATOと負けず劣らない柔らかくて優しい微笑みが、此処に。
「ン…やっと笑った」
「っ…レン…」
「やっぱりイッチーはもっと笑った方がいいね。…HAYATOの笑顔も好きだったけど、オレはイッチーが笑った時の方が断然グッと来る」
「……。…よくもそう恥ずかしいことを平気で言えますよね…」
「そうかい?じゃあイッチーも何か言ってみようよ。練習練習!HAYATOが居なくなるんだ、もっと感情豊かにならないとね」
「そういう事では…ないのですが…、でも……、」
「でも?」
そして、トキヤはレンの耳元に顔を寄せる。
一度だけその耳にキスをし、そのリップ音の後に深呼吸のリズムが届けられる。
レンの位置からではトキヤの表情は見て取れないけれど、抱く腕に温かさが増えたことには直ぐ気付いた。
そう、それは紛れもなくトキヤとHAYATO、二人分の温もり――。
「…ありがとう、レン君…。レン君に愛されてトキヤは幸せ者だにゃ…これからも…トキヤをよろしくね…?」
「イッ…――HAYATO…、大丈夫、オレに任せて。だからゆっくり休んで…お疲れ様。それから、おやすみ…」
「うん、ありがと。バイバイにゃ――」
三人で交わした最初で最後のさよなら。秘密のバイバイ。
奏でる三つ鼓動がそうしてゆっくりと二つに解け合い、二人の愛がこうしてまた深まっていく。
ラストステージは君の腕の中で。