04.始まりの口吻
それは、ある日の夜のこと。
夜遅くにレッスンを終えて寮へと戻ってきたトキヤは、目の前に広がる散らかったままの室内に呆然と立ち尽くしていた。
散らかし魔と言っても過言ではないトキヤと同室ペアの男、一十木音也がこの現状全ての原因だった。
今朝も先に部屋を出る前に散々注意をしたにも拘らず、楽譜もゲーム機器も朝と変わらずそのままの位置をキープしている。部屋の半分、つまりは互いのスペースと共用部分の区別が出来ていなく、トキヤがどれだけ自分の範囲を綺麗に保っていようと彼に至ってはお構いなしだ。
日々の疲れを癒すべく在るはずの自室ですら、このような扱いだ。流石のトキヤも溜まりゆく日頃の鬱憤に呆れの溜息を隠せない。
「……まったく…」
そうごちて現状と向き合う。放っといても構わない話ではあるが、そこはトキヤの損な性分の一つだ。ぶつぶつと文句を零しながらも片付けを始めてしまうのはいつもの事だった。
そうして始まった片付けだったが、足の踏み場もなかったと言うのに一時間も掛からずに済んでホッとする。
「我ながら完璧ですね」
己の手によって綺麗になった部屋を一瞥し、ふぅと、一息を吐いたトキヤが得意げに零した。パンパンと手を払い、改めて自身の身なりを落ち着かせようと動いたその時――。
「ホント、こんな時間に掃除とは精が出るねぇ…。しかもイッキの分までとは…イッチーらしいと言うか何と言うか」
一人ごちただけの言葉に返ってきた声に、トキヤの肩にビクリと力が篭もる。それを追うようにしてはっきりと感じるもう一つの気配。いや、嫉妬の念と言うべきか。
「っ…レン…!?」
驚いたようにバッと振り向くと、ドアの前には同じクラスの神宮寺レンの姿があった。何故居るのだとトキヤの脳裏に疑問が一瞬だけ過ぎったが、部屋に戻るなり募った苛々に感けて部屋の鍵を掛け忘れていたことを思い出す。
「おいおい、そんなに驚くことはないだろう?」
「…ノックもせず上がりこまれて驚かない人が居るのでしたら見てみたいですね」
「声は掛けたさ、勿論。お前が気付かなかっただけ。…さっきしてた所ってイッチーのスペースじゃないよね?」
「ええ、その通り音也のですよ。何度言っても共用部分のみならず私の方にまで散らかすので仕方なく…。散らかっているよりはマシでしょう? それがどうかしました?」
「……いいや、その通りだなと思って」
予想通りの反応にポリポリと頭を掻くレン。少しだけ渋りながらもそっと歩み寄り、モヤモヤする感情を掻き消そうとイッチーの腕を掴んで自分の胸中へと引き寄せた。
「…っと、急にどうしたんです?」
「ただのイッチー不足(…なんて)」
そう言ってぎゅうっと抱き締められる。力強い腕、仄かに鼻を掠めていく香水の匂いもいつもと変わらない。ただ、レンが手ぶらで訪れたことには珍しいなと思いつつ、トキヤもその抱擁に応えるよう抱き締め返す。
「ふふ、私を見てください? レン…」
「…どうしたんだい、イッチー?」
トキヤが気付いていないとでも思っているのか、それともそれすらもレンの策略の一つなのかは定かでないが、彼が手ぶらでやって来る日は決まってAクラスでお泊まり会が催される日だ。
そして、何よりもレンがトキヤを必要としている時、即ち甘えたいと思っている時は特に手ぶらで訪れる。彼は無意識なのだろうけれど。きっとそれは確実だ。
「私を補給したいのでしょう――ン…ッ、」
自信満々の笑みと口振りの後、徐に口付けられる。甘く噛み付くような優しい唇が時に狼のような牙になる。
「ッ…ん……、」
綺麗に整頓された所為か、漏れる吐息音が木霊して熱情に火を点していく。唇が重なるとどちらからともなくその合間を舌先で割り開き、咥内へ侵入を果たす。
「んぅ…っ、ふ……」
レンは妙なところで嫉妬する。露骨に態度で示そうとはしないが、レンの腕に抱き締められる時は決まってその時が多い。それを可愛いと思っているトキヤもトキヤだが、嬉しそうにキスを交わしている様子を見る限り、それも満更に思っていないのだろう。
「――…はぁ…、なぁイッチー…オレにキスだけで補給しろって…言いたいのかい?」
身体の中心に熱が集まり始めるようなキスは二人きりの時だけと決めてある。早い話、二人にとってそれが今な訳だ。
幾度と繰り返してしまう同室ペア相手への嫉妬に歪む瞳の色も、今では確りと熱いものに変わっていた。そう、レンが欲情の眼差しをちらつかせている。
「レン…、足りないと思っているのは…私とて同じなんですからね…っ」
「…ッ――、ホント…イッチーには敵わないな」
首に噛み付くことで欲情を示すトキヤだってレンとのキスに因って確りと身体を熱くさせていた。
いつだって二人の夜の始まりは甘くて長い蕩けるようなキス。
そうして今夜も二人はまた恋に落ちる。