05.魅せられて
とある夏に勃発したクラス対抗の水球大会。
Sクラスを代表してトキヤ、レン、翔の三名と対峙するのは、Aクラスの音也、真斗、那月の三名だ。
勝負事には罰ゲームが付き物だと、掲げられた案は女装をして一日過ごすこと。
初めの内は嫌だと渋っていた面々も勝利すれば何も問題がないと言うことに落ち着いたのだが、結果は期待を裏切らないと言うべきか。勝利の女神はAクラスに微笑んだのだった。
即ち、今夜時計の針が十二時を回るまで、Sクラスの代表三名は女装をして過ごさねばならなくなってしまった。
これも全ては学園長先生の思いつき所以、罰ゲームは避けられぬ道。そう、これからトキヤの身に降りかかる悪戯な罰ゲームも含めて――。
「……ぬ、脱げません……」
それは、辺りも暗くなった頃。
罰ゲームをバラエティの実技だと置き換えることで不満を隠し、女装を実行したまでは良かった。担任の思いつきによる記念撮影も渋々済ませ、後は各々時間が過ぎるのを待つだけ。
しかし、何時までも校舎内に留まる訳にもいかず、早々と罰ゲームは切り上げても良いことになり、今はその着替えの最中だった。
その時だ。教室の隅の方からぼそりと声が聞こえたのは。
「んー?どうしたイッチー?」
「…っな、何でもありません…!」
着られていると言った方が当たっている衣装、基いセーラー服をいざ脱ごうと手に掛けてみたものの、着脱のしたことのない異性の衣服は勝手がよく分からず、トキヤが独りごちたのだ。
それに目敏く気付いたのは、鏡の前で自身の美と向き合い続けていたレン。彼も水球チーム代表に選出され、そしてトキヤ同様に罰ゲームを受けているのだが、どうやら女装姿は満更でもないご様子で。未だに着替える素振りは無く、レンは熱心にメイクの研究をしていた。
そんな二人は今、教室で二人きりだった。
本来ならば同じクラスメイトの来栖翔も含めて三人で罰ゲームを受けているはずなのだが、彼は着替えてからと言うものの待ち構えていたAクラスの四ノ宮那月が連れ去っていったのだ。
そんなハプニングも毎度のこと。特に問題視していない二人が揃って女装姿のまま教室で談話する姿も不気味ではあったが、仲睦まじさはどの姿でも変わらない。二人の仲は群を抜いて良好だった。
「ははっ、流石のイッチーもセーラー服は着慣れてない、か。しょうがない、手伝おうか?」
「結構です」
「だけど自力じゃ脱げないんだろう?」
「女装を完璧にこなしてみせたんですよ?この私が!…バラエティやライブでも早着替えは付き物だと言うのにこれしきのことで…着替えまで全て完璧にこなしてこそアイドル…!」
「でもたかが遊びの罰ゲームじゃない」
「……………………。」
「(あらら、拗ねちゃった)」
そのトキヤが選んだ衣装はセーラー服で、女子と言えばこれしかないと言わんばかりに選出したらしい。だけれど、自らセットした三つ編みのお下げの髪型もそう、どれも一昔前の女学生風だった。
そんな彼とは正反対の方向で攻めるレンが選んだ衣装は白のワンピース。自信満々、フェミニン要素たっぷりのミニスカートから覗く脚を気にすることもなく室内を闊歩するレンの豪快さは、体格の良さも相俟って圧倒されてしまう。
普段であればレンと劣らない自信を有するトキヤも、流石の女装ではそれも地に伏せてしまうのか、羞恥に耐え切れず、教室の隅で小さくなってこそこそと着替える始末だ。
そうは言っても二人きりの教室。隠れたところで意味は成していないも同じだった。
しかも、トキヤは壁と対面しているため、レンの方からはトキヤの背中しか見えていない。そして、トキヤは着替えることに集中しすぎていて、近づいている存在が居ることにも気付けていなかった。
レンの興の対象にされる前にさっさと着替えを済ませるはずが、足踏みしてしまっているのが現状だ。早々とこの罰ゲームと教室から離脱したい気持ちが仇となり、逆に手元を狂わせてしまっているらしい。
ファスナーを下ろそうとする為に顔を俯かせているのだが、それが背後から眺めると酷く儚く哀愁のような、思わず抱き締めたくなるような雰囲気さえ感じ取れる。否、それも全てはこの女装姿の所為だろうけれど。
「あーあ、だからってそんな風にしたら脱げるものも脱げなくなっちゃうぜ」
綺麗な項が垣間見える度にレンの笑みは深まるばかりだった。
近づいて見えたのはそこだけではなく、何故かトキヤは律儀に正座をして着替えており、膝上丈のスカートはそれにより上擦ってしまっているため、色白な太腿が妖艶に覗く。
紺色のソックスで半分ほど隠れた脹ら脛と太腿の間のラインも絶妙で、思わず手を差し入れたくなるような、手を滑らせたくなるような、そんな不思議な欲が芽生えてならなかった。
まさか女装姿のまま狙われているとも思わずに、トキヤがジトリと振り向けば、真後ろに迫っていたレンと視線がかち合った。
「…いつの間に……。と言うかレンも好い加減着替えたらどうですか。いつまでそのような格好を…」
「ん?だってオレはほら、簡単に着替えられるし。それにイッチーとは違ってオレはこの姿も気に入っているからね」
「………はぁ…、そうですか。私はあなたと違って早く着替えたいので邪魔をしないでいただけますか」
「脱げずにいるってのに?」
「慣れていないから手こずっているだけで私は…!」
「はいはい、手伝ってやるから、ほら。後ろ向いてて」
そう言って、レンはトキヤの肩を掴んで半ば強制的に正面を向かせる。セーラー服越しに浮き上がる鎖骨に、自然を装ってなぞることも忘れない。
「…レン。て、み、じ、か、に、お願いしますね」
「酷いな…脱がせる手伝い以外はしないよ。――にしても…」
「…なんです」
「いいや、相変わらず細いなって。ちゃんと食べてるのかい?」
「三食バランス良く摂取していますのでご心配なく。最近は少し筋力を付けようと思って新しくトレーニングを始めたんですよ、貴方を見習って」
「そうなのかい?でも、イッチーは今のままで十分。現状維持で良いと思うよ。それにその方が色白も映えるし」
「それもそうですが、いつまでも…その、レンに振り回されてばかりでは私の気が許しませんから」
「へぇ、一体イッチーは何を企んでるんだか」
「ふふ、勿論ヒミツです。楽しみはとっておかなくては」
「それは楽しみだ」
背後にしゃがみ込んだレンに身を任せたトキヤの安堵の一呼吸。それから悪戯を思いついた子どものような表情も可愛いなとしか思っていないレンとの間に生まれる、妙に温かい雰囲気。それも二人が恋仲であるからこそ生まれるものなのだろうけれど。
三つ編みのお下げを手に取り、改めて項を晒す。浮き立っている首筋の骨や白肌が綺麗で、レンは欲望のまま其処をツーッと撫で上げてみた。勿論、レンの腕の中に彼を閉じ込めて逃げ場を奪うことをしてからの行動だ。
「ッ、レン…!早くして下さい…!こんな辱めでしかない格好なんて一刻も早く脱いでしまいたいと言うのに…!」
「早く…ね、うん。OK…、」
擽ったいくらいならまだ我慢出来るのか、トキヤの表情にはまだまだ余裕の色が浮かんでいた。
手の甲を抓り、撫でる行為は止めさせたものの抱擁は止めてくれそうにない。ただでさえ、こんな女装の罰ゲームなど早く終えてしまいたいというのに。
「…――ッ、ちょっ、レン…!?」
ドサリ、と衣擦れの音の中に紛れて背中を床にぶつける音が響いた。
「早くってねだったのはイッチーだよ」
中途半端に脱ぎかけたままのトキヤを自身の真下に収め、レンがニヤリと悪い笑みを浮かべる。細めの手首を掴んだまま体勢を変えるつもりは全くないらしく、トキヤの自由は奪われたに等しい。
上着の裾から見える腹部。解いてあったスカーフの乱れもそう、トキヤの全てが妖しくレンを誘う。化粧の為とは言え、頬紅の赤みが実際の赤さを誤魔化しているのが玉に瑕だが、それでもこの状況に持ち込めた時点で欲の蓋は押さえ切れそうになかった。
「私はそう言う事を言ったのではなくて…!」
「そう言う事ってどう言う事?例えば…こんな?」
この様な状況は初めてではない。だからと言って女装姿のまま押し倒されるなど思いもしていなかった。女装しているからとは言え中身は男。況してや関係のある男、レンだ。流石のトキヤも油断した結果がこれだった。
頭上で纏められた手首。足もレンの足に挟まれていて身動きが出来ない。いつもであれば脱がすことも容易ではないズボンも今は形無し、スカートの中は下着一枚だ。
悪戯な手が太腿に伸びてくる。するすると撫でるような手付きがいやらしく感じるのもこの姿の所為か、それとも――。
「…ンッ、…レン…っ!」
びくり、肩が揺れる。衣服の中に入り込んできた手がトキヤの内腿から中心へと移動していったからだ。
睨まれても何のその、レンの悪戯に火を付けるだけで、この行為が止むとは到底思えない。否、止めてくれないと困るのだけれど。
「いいじゃないか、折角二人きりで互いにこんな格好…ちょっとした悪戯だよ、悪戯」
「…だからって如何してそれが押し倒す理由になるんです、貴方の頭はいかがわしい事ばかりなんですか…!?しかもこんな教室で…!」
声を隠そうにも未だ器用に塞がれている為に両手は使えない。唇を噛もうにも傷が出来ると止められる。ならば喚くほかないではないか。
しかし、それにはリスクが大きすぎた。この状況を誰かに気付かれてしまっては元も子もない。
二人の関係は秘密裏に事を運んでいるのだから。
「だとしても、イッチーがそんな格好しているのがいけないよ――…ん……」
「っん…ふ…っ…んぅ…」
唇を塞がれたと同時に静けさが増す教室。辺りに響くのは互いの舌が行き来する音、その水音一つだ。次第に増すのは情の乗った熱い吐息だけ。このままでは聴覚から麻痺してしまいそうだった。
足をまさぐっていたはずの手がいつの間にか上着の裾からその中へと侵入を果たされていた。無い胸に付けた女性物の下着が床と擦れて少しの痛みを感じたが、それもまた良い方の刺激となって興奮材料に変わる。
全く以てこんなはずではなかったと言うのに、何を間違えてこうなってしまったのだろうか。それとも全ては女装の所為、そう思って流されてしまうべきだろうか。
トキヤの理性の天秤が、じわじわと揺らぎを見せる。
「――っはァ…は……っだから、キスしないでください…っと、何度も…っ!」
「どうして?キスが嫌でもないのに?本当はもっと熱くて蕩けるキスがしたい。…そうだろ?」
「……っ、」
何も言えなくなってしまったのは、反応を示し始めているモノに気付かれてしまっていること他ならない。
レンはこういう時ばかり狡い男になる。本当に。分かっていて分かっていない振りをするのが得意すぎるのだ、レンは日常に於いてもそうだった。
だから、彼の隣を居心地が良いと思うのかもしれないけれど。
「黙ってたら分からないよ、イッチー。…オレと、したいの?したくないの?」
「……ッ…」
手付きで慣れた動作なのだと計る。セーラー服はそのまま、下着のブラジャーをずり上げられていた。その先の目的は一つしかないのだが、敢えてそれはしないのもレンの策略の一つか。今はただただ焦らすの一手らしい。
唇さえも触れ合ってはくれない。近づきそうなところまで近づいてあっさりと離れていくのだ。レンの吐息の感覚だけ味わわせておきながら、実物の唇はお預けだ。
中途半端に煽られたまま、トキヤの不満は募るばかりだった。否、不満は不足故の不満だ。
「…ねぇイッチー」
「…ッ、……」
それでもやはり理性が現実に留めさせる。トキヤの視界の端に映る教室の風景が脳に警鐘を鳴らしていた。欲望のまま動くには場所が悪すぎるのだ。
しかし、先程から与えられている甘い刺激は疾うに火種の域を超えていた。始めてしまえば止まらないことは分かっている。だからこそ今止めておかなければいけないのに―――。
「――トキヤ、」
そう、それはまるでスイッチ。レンの声で名を呼ばれること、その名を囁く唇から奏でられるリップ音が、トキヤを欲に溺れさせる。ずるずると。
「ッ……貴方は…本当にずるい人だ……」
「…オレはただ気持ちに素直なだけさ。…それで?どうするの?」
「…し、しますよ、勿論…!こんな状態で帰ることを選ぶほど私も子どもではないですから。…煽った責任、取ってくださいね?」
とっくに拘束を解かれていた両手はそっとレンの背中に回る。が、届かなかったので黄色地のカーディガンを掴むだけで終わる。
紅い頬はもう化粧の所為とは言えない。潤んだ唇も熱っぽい瞳も、全部が目の前の男によって引き出されたトキヤの魅力。返ってきた返答もそうだ。レンだから許される。
自分だけ許されているのだと実感する度にレンの優しさは増すばかりだった。
「もちろんさ、――ははっ、本当…イッチーは可愛いね」
「ッ、撫でないで下さい!折角セットした髪が…!」
豪語するだけ豪語しておきながら、はたと気付いた状況に女装以上に耐えきれない羞恥がトキヤを襲う。顔を背けて逃れるどころか咄嗟に悪態を吐いてしまうことも、レンは分かっているから繰り返し手を出してしまう。
レンが求めているモノはいつだってトキヤなのだから。勿論、トキヤもそうであって欲しいけれど。
案外、トキヤは時と場所を考えればOKしてくれることもあるらしいが、その事実は二人だけの秘密。
「その髪がこれからどんな風に乱れていくのか…ん〜、考えただけでゾクゾクするね」
「なっ、もう黙りなさい…レン…、キスも出来ないでしょう?」
「…イッチーってキスが好きだよね、あのうっとりした顔が凄く好きだよ」
「………ええ、私も好きですよ。レンの乱れていく姿…」
「…ッ!…イッチーも大概ずるいよね…」
「ふふ、私を煽った罰ですよ、レン…。ほら…早く……――」
レンの長い髪を軽く掴んで引き寄せる。そして間近に迫った待ち望んだ唇を噛むようにして口付けた。
そう、それが始まりのキス。悪戯っぽく笑ったトキヤのキスはいつにも増して魅力的だった。
つづく?