欠片




コンコン、とノック音が耳に届く。

「オレだよ」

夜中の逢瀬に、名前は要らない。
数秒待って、間もなく扉が開く。ガチャリ、と施錠が解かれ、ドアをくぐれば見慣れた姿と少しの微笑みがあった。

「あなたはいつだって急ですね」

憎まれ口も愛情の裏返しだった。
恐らくパジャマ姿なのだろうラフな姿は、突然の訪問者に対する用意は皆無という状況を物語っており、迎え入れたトキヤは少しだけ不満そうに本音を漏らした。

「愛はいつだって突然起こるものだよ」
「御託は結構。……それで、どうかしました?」

居たのであろうデスクとは反対の、ソファへと腰掛け、来客のレンを手招く。
すとんと隣同士で座りあうと、どちらからともなく触れ合ってしまう距離を憎んだ。緊張が、身体を走る。

「イッチーは理由がないと会ってはくれないのかな?」
「私はあなたと違って忙しいんです」
「へぇ、そういう割には嬉しそうな顔をしているね」
「なっ……してません!冗談を言いに来たのでしたら帰ってください」

つつ、と手に指が這う。咄嗟にトキヤは手を引っ込め、レンの手を払った。
けれど彼は、それでもめげない。追いかけるように手を捕らえると、トキヤのしなやかな指を一本一本丁寧になぞる。まるで何かを誘うように。

「長い夜だよ。イッチーの邪魔はしないからさ、少しだけ此処に居させてくれないか?本当だよ、邪魔はしないと約束する」

レンは手を弄びながら、一緒に持ってきた紙袋を見やる。釣られてトキヤが紙袋の中に視線を送る。その中には雑誌のような本が数冊入っていた。

「……音也が留守な事を知っていたんですか?」
「さぁ?偶然だよ」
「……邪魔をしないのでしたら、構いませんよ。本当に邪魔をしないのでしたら、ね」
「本当さ。信じてくれよ。オレはこのソファを貸してもらえればそれでいいからさ」
「読書なら自分の部屋でも出来るでしょうに……」

そうぼやきつつ、トキヤは立ち上がり、レンの手を払った。その代わりに、オレンジ色の頭部をぽんと叩くように撫で、クスッと微笑う。

「わかりました、いいですよ。好きなだけどうぞ。あなたの言葉を信じましょう」
「そいつは助かるよ。サンキュー。…さ、課題をやるんだろう?」
「そうですよ、折角調子良く進んでいたというのに」

ぽんぽんと、頭を何度か撫でながら、棘を見せるトキヤの表情はその口ぶりとは裏腹に柔らかいものだった。
決して、拒んでいる訳ではないのだろう。ただ、突然の来訪に緊張が勝ってしまっただけで――、トキヤは内心、ドキドキでいっぱいだった。




チクタク、と時が静かに進んでいく。
時刻は真夜中の一時過ぎ。夜食を取るには遅すぎるが、シーンと静まった空間にどちらかの腹の虫が小さく鳴いた。

「ねぇイッチー」

本当に静かにただ読書を始めたレンと、その彼を何度か横目で確かめつつ課題に励むトキヤの二人は、真夜中の静けさを利用して二人だけの空間を楽しんでいた。それぞれがそれぞれの目的に集中し、空腹を忘れるくらいには夢中になっていた。
そんな二人を切り裂いた腹虫音。どちらか――それは、レンの方なのだが、申し訳なさそうに声を掛けてきた。

「なんです?」
「お腹が空いたよ」
「何時だと思ってるんです」
「んー……1時…半を過ぎたくらい?」
「それを知っていてあなたはこんな時間に何かを食べようと言うんですか?」
「だって空いたものは空いたんだ。イッチーだって腹くらい減るだろう?」

読みかけの雑誌の表紙を上にして寝かせ、レンは分け与えられたテリトリーから逸脱し、トキヤの後方に近づく。
それに気付いたトキヤは、すぐさま、威嚇するかのように振り向き、目で「近づくな」と言う。が、レンがそれに頷く訳もなく、ぽんと肩に手を置かれる。

「何か恵んで欲しいな」
「……本気でこの時間から食べるつもりですか?」
「うん、そうだよ。何かおかしい?」
「すべてがおかしいです」
「そう、でもオレはイッチーみたいに運動もちゃんとしてるし、太ることもないけど」
「そういうことを言ってるんじゃ……」

押し問答を繰り返している最中も、ぐう、と一鳴きされる。

「イッチーだって夜食くらい食うだろう?」
「食べませんよ、何言ってるんですか」
「へぇ、そうなんだ。変わってるね」
「それはどうも」
「それで、本当に何もないの?」
「ないですよ、本当に。私は音也じゃないんですから」

そういう会話をしながら、レンはトキヤの体の向きを正面に戻し、背後からそっと腕を回す。まるで抱き締めるような仕草に、トキヤはドキッと胸を高鳴らせ、身体を強張らせた。
その腕を振り払うこともなく、レンに抱き締められるまま、トキヤは溜息を一つ零す。

「…簡単なスープでいいなら。作って差し上げてもいいですよ」

根負けしたと言う方が当たっているトキヤが、ちらりとレンを見上げながら言った。
本当はトキヤとの距離を詰める言い訳になればいいと、そう思っていただけに過ぎないレンは嬉しそうに表情を明るくさせる。

「本当かい?嬉しいよ!ありがとう!」

ぎゅうっと抱き締めるのもレンの策略のうち、と言えば聞こえが悪いかもしれないが、レンはトキヤとの関係を少しずつでも埋めたいと思っている一人だった。
毎日、別名義を使い芸能界で活躍していることには気付いていた(真偽は確かめていないけれど)。そんな秘密を抱えるトキヤの苦悩を、少しでも晴らしてあげられたらいいな、とレンは思っていた。
友情から芽生えた母性、いや、愛情にも似た想い。レディたちに向ける想いとは別の感情がレンを突き動かしている。今夜みたいに、一人の部屋に押しかけることもまた、レンの思いやりから生まれた行動だった。

「ですから、離して下さい、この腕。苦しい…」
「ああ、それはごめん。でもイッチーって抱き心地が良いよね」

ぽつりと零れた本音。自分と身長差が大してない男を抱き締めて言う感想ではなかったかもしれない。でもそれが、レンが抱いた本当の感想だ。偽りも何もない。

「………、」

振り払おうとしていた腕を掴んだまま、トキヤの動きが硬直してしまった。
聞き捨てならない、もしくは、寒気がする、その二択のどちらかなのだろう。言葉を止めてしまったトキヤから察する思いはきっとそういうもの。レンは自らの失言に心で叱咤する。しかし、言ってしまったものは本音であり、後悔するものでも何もない。
そう分かってはいるのだけれど――、二人の間には目に見えない気まずさが泳ぐ。もちろん、その言葉から受け取れる感情は先にあげた二つだけとは限らないだろう。それから気付くこともある。
自分が彼に抱いてしまった想いの欠片に気付いてしまった可能性も、また、否定できなかった。

「……なんてね。作るんだったら手伝うよ」
「――…ええ、お願いします」




それから数分、簡単なレシピを元に二人は手際よく夜食用スープを作り上げた。
トキヤから借りたエプロンを確りと身につけ、男二人、真夜中のキッチンで料理をした。それも後々、思い出になるのだろうと思うと、レンは楽しくて仕方がなかった。

出来立ての湯気が立つスープ皿をテーブルに運び、向かい合って二人は手を合わせる。「いただきます」と挨拶を済ませ、出来上がりを改めて堪能する。

「ん、美味い!さすがイッチーだね。でもオレはこれに…もう少しパンチをきかせた味も捨て難いな」
「レンは辛いものが好みなんですか?」

スープを一口、口に運んで味を確かめつつ、トキヤは驚いたような顔でレンを見る。

「んー…まぁ、嫌いじゃないってとこかな」
「そうなんですね。覚えておきます」

そう感心したような表情で、トキヤは自身の心のメモ帳に刻み込む。レンのことは少しでも多く情報を得たかった。

「辛いと言えば中華料理を思い浮かべるけど、美味しい四川料理を出してくれる店を見つけたんだ。良かったら今度どう?一緒に行ってみないかい?」
「中華ですか……普段あまり行く機会がないですね…。私でよければぜひ」
「決まりだな。そういうイッチーはいつ空いてるんだい?最近忙しそうだけど」
「そうですね……来週末、その辺りは少し時間が取れると思います」
「来週末ね、オッケー。じゃあ来週の土曜、オレと約束ね」
「ええ、わかりました。楽しみにしていますね」

談笑も朗らかなムードで進んでいく。そして、新しく作った約束が、二人の距離をまた一歩縮めていく。
二人は終始和やかな空気で食事を済ませていった。どちらとも皿の中身がなくなると、また手を合わせて「ごちそうさま」を済ませる。
まるで、二人だけで生活しているような錯覚さえ起きてしまう。二人の波長は程よく揃い、まだぼやけたままだったメロディラインを明るくさせる。単独のリズムで輝いていた二つのメロディがきれいに重なり合い、二人の新しい音楽を作り出す。

二人は、そういう関係だった。
一つ一つ精練されたメロディであるレンとトキヤの二人が揃えば、途端に明るさと少しの幸せが色をつけ、一つのメロディを紡ぎだす。そうして出来上がったメロディや、日々を通して思い浮かぶ想いの言の葉を添えて、そうしてひとつの、ふたりの音楽が出来上がる。

そんな気がしていた。
課題曲の製作もそう、歌詞を書くにしてもそう、どこか二人の関係を思い出させる。二人で居るときに感じる想いがメロディとなり、歌詞となり、音楽として生み落とされていく。
だからなのか、レンもトキヤも二人で居る時間を心地良く思っていた。落ち着くと心から思っていたし、これから先もこの関係を続けていきたいと思っていた。
出来ればこのまま、二人の時間がどこまでも続いていけばいいのに――、そう願わずにはいられないくらい、二人はこの時間を大切に思っている。それくらい大事に思う関係が出来上がっていた。

「後片付けはオレがするよ。と言うか、それくらいさせて?せめてものお礼だよ」
「いえ、こちらこそありがとうございます。ではお願いしますね」
「ああ、任せてよ」

最初に邪魔をしないと約束したにもかかわらず、一時間ほど、トキヤの時間を使ってしまった。その、せめてものお礼とお詫びに、レンは後片付けを買って出た。
任されたからにはきちんとこなす。二人分の食器をシンクに運び、手短に洗い物を済ませる。就寝時間まであと1時間少々と言ったところだろうか。限りある時間は有効に使いたい。そういう思いが行動を急かす。

「レン、あなたがそうするとは思っていませんが、良かったら泊まっていっては?」
「いいのかい?これ以上、イッチーの邪魔をするのは流石に気が引けるよ」
「もう慣れました。と言ってもベッドは私のひとつしかないので、一緒に寝る――訳にはいきませんから、良かったらベッドを使ってください。私はソファで寝ますので」
「オレはソファを借りられれば十分だよ。イッチーはベッドを使ってよ」

片付けも終え、使っていたエプロンも片付け終えたレンが戻ってくるや否や、トキヤは開口一番そんなことを申し出てきた。
レンにとっては思ってもいなかったお誘いに全身で歓喜する勢いで嬉しい出来事なのだが、ベッドを使うには気が引ける。だって、そこにはトキヤの温もりを始め、匂いだってたっぷりと残っている。そんなベッドで眠れる訳がない。生殺しにでもしたいのだろうか、と疑いの念さえ浮かんでくる。

「そう…ですか?ではそういうことで。ふふ、私はもう少し課題をこなしてから眠りますが、レンはまだ起きていますか?それとも先に眠りますか?」
「オレはもう少しだけ起きているよ。雑誌もまだ読みかけだしね」
「そうですか、わかりました。では、私ももう少しだけ頑張りますね」

そう言って、穏やかな表情で(と言うよりは嬉しそうに見えた)トキヤはまたデスクへと戻り、途中だった課題に向き直る。
トキヤの背中を見ながら、レンは緩む口許を片手で覆い隠しながら、「まいったな……」と心でぼやいた。思っていた以上に、トキヤの事を気にかけているらしい。小さな欠片に過ぎなかった想いは、トキヤとのやり取りを繰り返す度に少しずつ大きな欠片へと成長していく。
始めはほんの小さな欠片だったそれに気付いてしまった以上、後戻りは出来ない。いや、出来ればしたくない。

深呼吸をしてからレンはソファに戻り雑誌を手に取るが、イマイチ集中出来なかった。眠る場所は離れているとはいえ、同じ空間で眠るのだ。耳を澄ませば吐息だって十分聞くことが出来るだろうし、朝だって一緒に迎えることになる。
やはり緊張が身体を支配する。でも、それ以上に嬉しくて堪らなかった。些細な出来事で一喜一憂する関係は今までに経験したことがなく、全てが新鮮だった。だから余計にトキヤとの関係を大事にしたいと思う。改めてそう実感する。

欠片に気付き始めたのは何もレンだけではなかった。トキヤの方も、レンに対する「なにか」に気付いてしまったような気がしていた。
彼とするひとつひとつが新鮮で楽しく、心を温かくさせる。火種のような欠片の存在にはまだ目を向けたくはないが、レンと過ごす時間は居心地が良いのでこれからも続けていけたらいいな、とトキヤは思っていた。



「……おやすみなさい、レン」
「ああ、おやすみ。イッチー」

暗くなった室内で、二人は挨拶を交わし、眠りに就く。
お互いの胸に生まれた欠片の存在に気付きかけた夜が、そうして静かに幕を下ろす。
二人の関係はまだ始まったばかり――。





2013.09.08
恋心に気付いていなくても二人は、二人で過ごす時間を心地良いと思っていたらいいなって思います。
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