02.火曜、月夜の集会を
流れ星は嫌いだ、なんて言えば嘘になるだろうか。
誰よりも星に願いを送り、叶いもしない夢幻を思い浮かべては自嘲を吹きかけてきた。そうして現実を確かめ、箱庭の中で精一杯羽ばたいてきたのは他でもない私自身。
そう、生きる鳥篭の住人を選んだのは紛れもない自分だった。夢や愛、未来予想図とは別の未来を歩んでいる現実への葛藤。そう言った色々な感情に雁字搦めになりながらも日々を過ごしている。今もなお。
そうするしか私には術がなかった。とは言え、この道を選んだのもまた自分だったから、募る焦燥とそれに比例した責任感に近い『努力をしなければ』と言う枷のような気持ちは、大きく心を埋め尽くしていった。
唯一の息抜きは星を眺め、それらに願いをかけてみること。
ぼんやりと薄暗い公園のベンチに佇み、一人夜空を満喫する。疲れた体に少し冷えた夜空がふわりと肌を撫でていく感覚は嫌いじゃなかった。寧ろ妙に落ち着いてしまい、不思議な気持ちにさせられる。
いつからか、仕事後はこうして一人の時間を過ごすようになっていた。割と反省時間と言っても間違いではないのだけれど。星空の下は私にとって、落ち着きを取り戻す為にも必要な時間であり、癒しの場所だった。
重すぎる肩の荷がようやく下りた頃、手櫛で髪を元に戻した。ハネっ毛を多く形付けた髪型は“彼”のもの。
そう、今夜も私はもう一人の私に姿を変え、笑顔を作り続けてきた。
全ては己が生んだ種である。“彼”がこの世に周知されたのも私が息を吹き込んだからだ。
だから、“彼”を恨んではいけない。憎んでもいけない。ただ“彼”に命を吹き込み続ける。それが私の役目であり、この道を選んだことの責務だ。
―――だけど。
だけど偶に、それが重い。
「……………はぁ…、」
見上げて視界を埋め尽くした星は、無情にも光り輝き続けていた。
キラキラと煌めく星はきっと私を蔑んでいる。自分で引いた罠に嵌まるなんて、と。そうやって宙にも嘲笑われている。
周囲に吐いて回った嘘が嘘を呼び、平然としている方が嘘のようで時々分からなくなった。自分は誰なのか、と迷うことが増えた。
否、それも嘘だ。己が誰であるかなど見誤ったりしないからこの件には触れないで欲しい。私や“彼”に干渉しないで欲しい。ただそれだけだ。
これ以上、現実を見てしまっては引き返せなくなりそうで、本当は怖かった。自分が自分でなくなることに、不安を感じていたのも事実だ。
だから私は、平気で踏み入って優しくする彼に、何もかも見透かされているようで嫌だった。私はそれを、彼の―――レンの所為にしてしまった。
酷いことをした。本当に、酷いことをしてしまった。
『―――貴方に何が分かるんですか…!?貴方がこの世界の何を知っていると言うんです…!?家柄にしがみついていなければこの世界で生き残れもしないじゃないですか…!!』
蘇るのは昼休みの光景と、笑わなかったレンの横顔。
事の発端は些細なことだった。授業の一環で、録画した朝のテレビ番組を見た。その番組に出演している“彼”を見たレンが何かを言いたそうに私を見ていた(ような気がした)。それが切欠。
もちろん、HAYATOが私であるということはレンにも伏せている。彼の洞察力ならば気付いているのだろうけれど、学園内ではそういうことにしているし、一切言及していない。その方が身の為だと思ったから静観し続けた。
そうでもしなければ、ひた隠しにしているこの件に対し、干渉されそうで嫌だった。レンのことだから必要以上に詮索してこない事は明白なのに、それ程あの授業は私にとって苦痛だった。余裕がなかった。
バレてしまってからでは遅い。何の為に隠してきたのかも分からなくなるし、今まで過ごしてきた時間を後悔しそうだった。何よりも契約が私の喉を締め付けている(生きているのに息苦しいのはその所為だ)。
だから、周囲が余計なことをしでかしてしまう前に、自ら釘を刺しておくべきだとも思った。
けれど、間違いだった。計算違いだった。
波風立たないよう、何事もなく授業が終わるよう、仕向けようとした矢先、彼が余計な一言を漏らしたのだ。
『ホント、二人はそっくりだね』
ずしり、胃が重たくなったのが分かった。それに加え、何故そのような事を言うのだと、憤りさえ覚えた。それ程の威力。それ程警戒していたのだと実感して、焦りが募った。自分への、そしてレンに募るは苛立ちばかり。
それ故の暴言だった。
わざわざ昼休みに呼び出してまで言うことではなかったと、今となっては反省しているし、出来ることなら早く謝りたいとも思っている。
だが、どんな顔をして会いに行けばいい。
あの発言も彼なりのフォローだったのだと、余裕を取り戻した今なら理解出来る。彼以外の人間が問いただしたりしないようにする為の牽制。あの一言はレンなりの優しさだったのだ。
それすらも蔑ろにしてしまった私の暴言は、決して赦されるものではない。酷いことを言ってしまった。本当に、酷い結果を生んでしまった。
普段から何事もなかったように笑ってはぐらかしてくれる彼を、私は傷付けてしまった。言葉は時に鋭い刃にもなる。暴力と同じだ。
一体どうしたらいい。
どうすれば彼の表情に光が戻るだろうか。どうすれば、また笑ってくれるだろうか。
―――ねぇ、神様教えて……、
何度目かも分からない願い、否、赦しを請うてみても返ってくる言葉は何も無い。ただ、冷たい現実が私を射止め、身動きすらままならなくて、募るものは後悔ばかり。冷えていく体が現実をただ受け止めるだけだった。
ベンチに座ったまま、上を見上げることも憚られる。どの口が赦しを求めているのかと、ただただ自責の念に駆られた。溜息なんか以ての外だ。
脳裏にはあの時見たレンの哀しそうな顔が離れない。あんな表情をさせて尚、笑って欲しいなんて考えるなど都合が良いにも程がある。馬鹿なことをしてしまった、と幾ら後悔しても遅いことは分かっている。
分かっているからこそ、彼の存在を自分の中で強く感じているからこそ、失うのが怖い。
不意にヒヤッと背中が凍る。まるで血の気が引くような。
「―――お疲れさん」
聞き覚えのある声は優しさを帯びて耳に届いた。
「レン……!」
振り向くと(角度的には上を向くと言った方が正しい)、其処には微笑むレンが居て、温いコーヒー缶を頬に当てられた。
「こんな所で何してるんだい?また一人で反省会?」
「…そ、それを言うならレンの方こそ……」
寒さに頬をうっすらと紅くしたレンが笑ってベンチの縁に腰掛けた。次いで、ぷしゅっと缶を開口した音が聞こえたので、彼はこのまま居留まる気なのだと悟る。
私に逃げ場など初めから無い。逃げるつもりもないけれど。
「ああ…いやね、イッチーの帰りが遅いもんだから気になってさ。散歩も兼ねて」
「私は…私は所用で遅くなると音也にもきちんと告げて…」
「うん、だから。…用って、つまりはこういう事だろう?」
冷えた手に温度が重なる。ぎゅっと握られた手がじわりと温かみを帯びて、身体中に染み渡っていく。
レンの手は魔法だ。器用に音色を奏でる手先は綺麗に整っていて、少しごつごつしているところは男らしさを感じて羨ましくも思う。
本当に、彼には敵わない。
どうしてこうも容易く見透かされてしまうのだろう。どうして、彼は気付いてしまうのだろう。どうして、私はレンに嘘を吐けないのだろう。
レンがさり気なく与えてくれる温もりが心地良くて、少しでも気を緩めたら涙が出てしまいそうだった。
「レン……昼間は―――」
「あ…」
唇を噛んで意を決し、昼間の件を謝ろうと口を割った時とそれはほぼ同時だった。
二人の上空をキラリ、星が滑っていったのは。
―――流れ星だ。
星の海を優雅に泳ぐ一際眩しい煌星。夜空を右から左へ、左から右へと流れては消える星たちが二人の視界を奪っていた。瞬く間は数秒。
触れるだけのキスもほんの一瞬だけ、ふとした隙を狙われた。
「ん……やっぱり目を凝らしてないと願い事なんて間に合わないな。…ま、オレの願いはもう叶ったから問題無いんだけど」
「…レン……、」
流れ星が流れている間に三つ願いを言うと叶う。
きっとレンはその事を言っているのだろうと、思考の淵で考えたところで、状況を冷静に捉えてしまう自分に苦笑が零れた。幾らレンが変わらず接してくれるからと言って、その優しさに甘えすぎていると、一人心で叱咤する。
消えた流れ星に名残惜しそうにしているレンが、目元を柔らかく緩ませてこちらを見てきた。目が合うとやはりドキッと胸が鳴る。一気に緊張が走る。
「…オレね、此処へ来る間、流れ星にお願いしたんだ」
片手は缶コーヒー、もう片方は私の手を掴んだまま、レンが静かに言葉を紡いでいく。まるで私には話をさせないと言った強引な口振りはやはりその通りなのだろうと思ってしまう。
謝らせはしない。瞳がそう告げてはいたけれど、謝らずにはこの腕の中には居られない。居る資格もない。
「レン、あの…私はそんなことより昼間のことを謝りたくて…」
「イッチーがこれからも笑っていられますように――…ってね、お願いしたんだ」
「え…?」
「昼間、イッチーが怒ったのには正直驚いたけど、間違いじゃないとオレも思ってる…。それにあの授業じゃイッチーが苛々しちゃうのにも頷けたからね。だから…気にしてないよ、オレはね」
くしゃくしゃと、ハネが残った髪を撫で廻された。もう“彼”の姿は見えない。
他に見えるのは―――、この夜空の星たちだけ。
「レン……すみません…貴方がそこまで気を遣ってくれていたのに…私は……」
「だから言ったろ?謝るくらいなら笑って欲しいな」
「ですが…!」
「なぁイッチー…、俺の願いを叶えさせて―――」
そう言って、きつく抱き締められた。ぎゅっと力強い腕からも熱い想いを感じてならない。この夜空の下で溶けてしまいそうなくらい、レンの熱い想いが私の体に染み込んで―――私たちの想いはそうして一つになる。
これ以上何かを望めば、本当に罰が当たってしまいそうなくらい、私は今、幸せでいっぱいだった。
レンの願いは三つあると言う。
一つは行方知らずだった私が直ぐに見つかるようにと願ったらしい。探さなくとも寮で待っていれば会えたというのに、心配性のレンは(昼間のこともあって)探さずには居られなかったらしい。
二つ目は私が笑っていられるように。そう願うと彼の口から直接聞いたばかりだ。
けれど、それは願うことでもないと私は思った。
だって、彼さえいれば私は笑うことが出来る。そう思っているし、レンも同じように思っていたら良いなと信じずにはいられない。
まだ彼にはこの気持ちを告げられずにいるけれど、きっとレンはこの想いに気付いている。きっと、通じ合っている。
だからこそ最後の一つ、その願いは――――――。
寮への帰り道、二人はこっそりと手を繋いで歩いていた。
「……よくもあんな恥ずかしいことが素面で言えますね…」
「掴まえていないと、イッチーが何処かへ行ってしまいそうで怖いんだ」
握る手が少しだけ強まるから、呼応するかのように反射的に強く、強く握り返して、私は微笑みを彼へと向けた。
「…レン、私は何処へも行きませんよ。まったく…無駄な心配ばかりするんですから」
「無駄なんかじゃないさ。イッチーは隠してしまうだろう?オレへの気持ちだって、本当は―――、」
「ええ、好きですよ。私は貴方が…レンが好きです。……だから、出来れば隠しておきたかった。流れ星のように直ぐに消えてしまう想いとは違うので…互いに余裕が出来るまでは秘めておこうと思っていたんです」
「イッチー……」
「でももういいんです。こうして貴方に言ってしまいましたから。もう隠したりしません…貴方の前では…ね?」
歩み寄る速度は同じ。想い合う気持ちの強さも然り、二人はやはり似た者同士だ。
月夜の下、私とレンはほぼ同時に歩みを止めて口吻けを交わした。柔らかくて温かい、互いを確かめ合うようなキスには前触れなどなく、そんな些細な行動ですら意志疎通していおり、最早私たちに向かう敵など居ない。強いて言うなら堂々と“恋愛”が出来ないことくらいだ。
それでも私たちは互いを求めることにした。想いを隠すことも今夜限り。
誓いのような口付けをもう一度交わした二人の上空を流れていった星たちは、きっと二人の願いを叶えようとしてくれているのだろう。
――――レンに(トキヤに)もっともっと幸せが降り注ぎますように。